むかし、ある人から最近の政治家は発言が軽すぎる、というようなことをよく聞いた。
その言葉を聞くたびに自分は時代の流れだと、それほど真剣に考えていなかった。
それどころか、世の中全体が軽い雰囲気に浸っているために、自分も含めたその構成員が選ぶ政治家が軽薄でも当然の帰結だと考えていたほどだ。
だが、一昨日のあるニュースでそのことについて改めて考え直すことになった。
そのニュースとは自民党の長尾敬衆院議員のツイートが差別にあたるという内容だ。
mainichi.jp
実は自分も偶然、彼のツイートを知ることになり疑問を持ったので、返信した。何かがひっかかり見過ごすことができなかったからだ。自分も彼に対しての発言に一石を投じたことになり、彼が自分の発言を撤回するひとつの意見となっているのかもしれない。
自分のTwitterのツイートはこのblogの新しい記事を書き上げたことを知らせる通知がほとんど。
誰かのツイートに返信することは珍しい。ましてや、政治家へのツイートに対する返信は初めてのことだった。
参考までに以下にそのツイートも掲載する。
私も当初は同じ意見でしたが、考えが変わりました。
— 淡白マスヲ (@guchiboushi) 2018年4月21日
それこそが、差別ではないでしょうか。
政治家は言葉の選び方に慎重でなければならないと、今回のことで改めて考えさせられた。
彼は北朝鮮や尖閣諸島の問題などの外交が絡む問題に興味があるようだが、外交の第一歩は相手国家との対話のはずだ。
彼のような言葉の感度が鈍い人間に外交を委ねても大丈夫なのだろうか。心配になってくる。
ひょっとして、彼は言葉よりも違う手段の方が外交では優位性があると考えているのだろうか。
ニュースにもある通り、長尾議員はツイートを取り消して自分のblog上で釈明している。
以下がそのblogの内容だ。
blog.goo.ne.jp
が、自分に言わせれば軽率な言葉の発信についての自省はそれだけだ。
さらに、彼の翌日のツイートを見たとき、自分は目を疑った。そのツイートは以下になる。
おおさかワインフェスタ!飲んで語りました。炎天下、4時間半。ありがとうございました。 pic.twitter.com/spYeotsJTd
— 衆議院議員 長尾たかし (@takashinagao) 2018年4月22日
もし、自分が彼の立場だったならば、しばらくはツイートを控えるだろう。自分の言葉の感度を磨きなおすまで。
もっと自分に対して厳しい人物であったら、責任を感じてTwitterのアカウントを消すこともあるかもしれない。
彼は少なくともSNS上での言葉の扱いを、軽く考えているようにみえて、自分には仕方がない。
これからも言葉の感度の悪いまま、彼は政治家を続けるのだろうか。