淡白マスヲのたんぱく宣言 

アラフィフのオッサンの雑記。夜遊び、芸能ネタ、日常的なことから社会的なことまでを、広く浅く、そして薄い視点で書くので気楽に読んでください。

ワンブロック違うだけ

 今の現場のオフィス近くには、以前勤務していた会社の名古屋オフィスがある。その会社は大阪が本社で、新興市場ではあるが上場もしている。
 今所属している会社の前に勤務していたそのオフィスと、今の現場はワンブロックしか離れていない。

 昨日、当時よくお昼休みにランチを食べた店に、訪ねようとしたら閉店していた。
 逆に、先日の雨降りの際は今のオフィスの近いお店で昼食を済ませた。以前のオフィスからそんなに離れていないのに、知らない店だった。
 ひょっとしたら、当時の記憶が薄れているだけなのかもしれないが、街も少しずつ変わっているはずだから勘違いしている可能性も否定できないが。

 さきほど、自分がかつて勤めていた会社のホームページを久しぶりに見てみた。
 入社時に2次面接をしてくれ、退職するときには名古屋オフィスの責任者でもあった役員の名前が無い。自分とそんなに年齢も違わなかったことと、面接で約束してくれたことを入社日に反故にしてくれたことを、未だに鮮明に覚えている。
 彼はスマートでそれなりに見栄えもしたが、自分からしてみれば、ただ調子の良い男としか思えなかった。
 今何をしているのだろう? また、どこかの会社に所属して経営者の腰巾着になっているのだろうか。

 人生において、『たられば』を考えたらきりがない。長い人生の中では誰もが何回かは、その考えに縛られ、悩んでしまうことがあるのではないか。
 自分は若いときほど、その考えによく陥った。年齢を重ねる毎に、あまりそのことについて悩まなくなった。
 結論がすぐに出るからだ。何回、同じ分かれ道に出会っても、同じ道を進むのが自分だと、ある意味あきらめているからだ。格好良く言えば諦観といえるのかもしればいが、自分はそんな柄ではないと思っているが。

 自分らしい道を行けば、また同じ分かれた道に戻ってくるかもしれない。その時は、以前進んだ道中で起こったことを考えて再選択すればいい。
 本当に縁がある場所、人や物には再会できることができるはずだと、感じることが増えてきた。

 再び出会えないにしても、似たような選択を再びしなければならないときに、自分の過去を活かせば過去の価値も変わると信じている。
 失敗したと思い込んでいた過去も、未来に活かせば失敗ではなくなるはずだ。

 今夜、久しぶりにある女性に再会することになっている。年下の女性だが、その当時から自分のタイプではない。
 だが、今の自分があるのは彼女のおかげ。そのことをなんとなく伝えたいだけだ。言葉としては伝えられないとしても。

 そんな彼女と再会する場所は、今の現場のオフィスとかつて勤めていた名古屋オフィスとも、ワンブロックしか離れていない。