淡白マスヲのたんぱく宣言 

アラフィフのオッサンの雑記。夜遊び、芸能ネタ、日常的なことから社会的なことまでを、広く浅く、そして薄い視点で書くので気楽に読んでください。

夏草の薫り

 今朝、玄関の扉を開けると夏草の薫りがした。自分はその匂いが好きではないが、今年はあまり嫌な気持ちはしなかったのが、不思議だった。
 八十八夜も立夏も今年は過ぎたので、暦の上ではもう夏になっている。自分は季節の中で夏が一番嫌いだ。

 夏野菜や夏に似合う食べ物は好きなものが多い。冷やし中華や冷スパは好みの料理だし、夏野菜であるトマトやナスも野菜の中では好きな方だ。
 食い意地が張っている自分。食べたいものが多い季節なのに、それでも夏は嫌いだ。

 自分の誕生日は6月。たまに、夏に産まれたからという理由だけで、夏が好きだと決めつけてくる人がいるが、そんなものなのだろうか?
 ちなみに妻は冬の誕生日だが、寒いのが苦手なことを知っている。春や秋に産まれた人は春や秋が好きなのだろうか。

 自分が夏を嫌いな理由は今まで身の回りに起きた嫌なことの大半は夏に起きているからだ。
 女性不振になった失恋も、今の妻が勝手に家を出ていったのも夏だった。
 今の仕事についてからのプロジェクトでワースト1とワースト2に着任したのも夏だった。

 逆に考えれば、夏さえしのげば他の季節にはそれほど酷いことが起きないともいえる。毎年、この数か月さえしのげば、この先の人生で大きなトラブルに遭遇する確率が低くなるかもしれない。

 自分が注意してもどうしても避けられない残念なことがある。それは自分が死ぬことだ。夏に産まれたのだから、夏に死ぬのも定めのような気もするが、どうだろう?
 自分の葬式に参列してくれるような、もの好きでかつ優しい人に夏の暑い中で喪服を着てもらうのは悪い気がする。

 今まで自分が好きではなかった夏だが、今年はなんとなく違った予感がする。理由はない。単なる直観だ。
 今朝嗅いだ夏草の匂いも、例年に比べると嫌悪感を抱かなかった。それどころか、季節の移り変わりを感じたことを肯定的に捉えていた。自分でも不思議なくらいに。

 長い夏休みを取得して普段行けないようなところに、旅する予定があるわけでもない。何か特別なアニバーサリーが待っているわけでもない今年の夏。
 だが、ただ何か良いことが起こりそうだと感じている。
 秋になってから過ぎた夏を振り返って、自分で書いたこの文章に呆れることになるのか、それとも自分の直観に驚くことになるのだろうか。
 それとも、良くも悪くも特別なこともなく、漫然とした毎日が過ぎていくだけの夏になるのだろうか。もちろん、今はまだ誰もわからない。