淡白マスヲのたんぱく宣言 

アラフィフのオッサンの雑記。夜遊び、芸能ネタ、日常的なことから社会的なことまでを、広く浅く、そして薄い視点で書くので気楽に読んでください。

『モラル』と『モラール』

 またまた自分の無知をこのblogでさらけ出してしまった。昨日のblogで。
hatehatehahaha.hatenablog.com
 一緒のオフィスで働いている人のメールが誤記だと思っていたら、自分が勘違いしていることに、今朝気が付いた。『モラル』を『モラール』と誤記していると自分は勝手に思いこんでいたのだ。
 出勤途中にスマホを使って確認すると『モラール』という単語があることを初めて知った。『モラル』は道徳、『モラール』は主に士気と訳されることも。
 オフィスに着いて、メールを確認すると文章の前後の流れから、『モラール』だということが明らかだった。自分の語彙力の無さに恥じ入るばかりだ。

 このblogを書きはじめてから、『モラル』という単語を昨日初めて使った。趣味で今まで書いてきた小説にも使ったことがない。
 自分は『モラル』という言葉を自分で使うのはともかく、他人が口にしたり、書いたりしているのさえ恥ずかしく感じるからだ。

 先週末、子供のころからの友人3人と呑んでいた。日本酒を売りにしている居酒屋で、気持ちよく酔っているときに幼馴染と議論がはじまった。もとい、そんな次元の高いものではなく、お互いの上げ足を取りあうような子供じみた口喧嘩だった。お酒を飲みだしてからは、自分たちにとっては珍しくないが、まわりから見たらどう映っているのだろう?
 そんな会話の中で、友人が『モラル』という言葉を口にした。自分はその言葉が好きではないことと、最近文章で使ったことがないことを説明した。

 翌朝、このblogを調べてみると確かにその時点までは使っていなかった。
 人の言葉を選択する感覚というのはつくづく面白い。自分に備わっていないキーワードを選びたがる傾向があると、自分は考えているからだ。柔軟性のない人間ほどその傾向が強いとも思っている。
 価値観や思考が固定化し、はっきりとした価値観や基準を他人に上手く説明できない人間が『モラル』という言葉を使って逃げている気が、自分はするのだ。
 そのことを説明した友人とは価値観が合わない。だが、昔からの友人なので他人から見たらくだらない経験も、自分にとっては良い思い出に昇華している。友人もそうであって欲しいがどうだろう?

 歳を重ねてから、価値観が合わない人と友人になるのは難しい。それどころか口喧嘩をするほど向き合って話ができる人間関係は、得難いことだと自分は考えている。
 仕事を通して、自分と価値観が合わない人と友人になることは奇跡に近いことではないだろうか。
 やっぱり、持つべきものは友人だ。それが、子供のころからの関係であれば特に。
 ちなみに、『モラル』と『モラール』のことも今日のお昼休みに小学校からの友人が、メールで指摘してくれた。自分は恥ずかしかったけれど、相手はもっと恥ずかしかったかもしれない。