今朝、通勤中にスマホでTwitterをしていたら、次のようなツイートを見つけた。
私の大好きで尊敬する人に常に言われる事なんだけど
— セトセイラ@モテおむすび研究家 (@sennnennzakura) August 7, 2018
何かをやる時に『努力しなきゃ』って思った時点でもうその路線では勝ち目ないから諦めろ。
本気で楽しんでる奴がいる世界は、努力では太刀打ちできないから
って本当にその通りだと思う。頑張る事って、自己満なんよ。
全ては『結果的に』って話 https://t.co/zEhaZ3V8q6
見た瞬間、自分に刺さった。そんなツイートは久しぶりだった。
そして、このツイートから亡くなった父親の口癖を思い出した。
自宅で晩酌をして酔っているときなどに、つぶやくように言っていたのをよく覚えている。
努力なんてするな、と。父は努力という言葉を軽蔑していた。この後には決まった父の台詞があった。
『努力』の『努』はどうやって書く?と。『女』の『又』の『力』と書き表すことを、続けたものだ。ちょっと照れ笑いしながら。
亡くなった父は、女性を卑下しているような生き方をしていなかったと思う。スケベな冗談も良く口にしていたし、女好きなことを自己肯定もしていたが。
自分で機械設計の事業をしていたが、従業員のエンジニアは男性女性の区別なく、採用していた。
また、地方や国政選挙の際は候補者の性別に区別なく投票していた。
何より、別居している妻も自分の父が好きだった。父が亡くなった後、通夜も葬儀中も泣いてばかりいた。
自分の娘も死の意味がわかるのか、わからないかくらいかの年齢だったが、悲しんでいたのがわかった。
見合いで結婚した母親も、父のことをかなり思っていたことを時間が過ぎるたびに、思い知らされ続けている。様々な思い出話などの口ぶりで。
見舞い客も、女性が多かった。癌が酷くなり、夜自分が思うように眠れなくなっていることを悩んでいたら、見舞いに来てくれた女性の友人の言葉に助けられたようだ。
その言葉を笑いながら自分に話してくれた。夜、寝むれないなら、昼寝ればいいのよ、と。
8回見合いして、7回目の相手と結婚した父。晩年は身近な女性には結構もてていたように思う。
『努力』という言葉が嫌いと言っていた、父。俺はストレスなんか感じない、ともよく言っていた。
だが、内臓に癌が転移をしたために二度執刀してくれた主治医によると、父の胃は胃潰瘍の後が多数、見られたという。かなりのストレスを抱えて生きてきたのではないか、ということも話してくれた。
人を雇って事業をしていたので、やはり苦労もあったのだろう。
それを思わせるようなことを子供のころから、自分はよく言われた。自分で事業をするな、サラリーマンか公務員に成れ、と。
親の言うことをそれほど守っていない親不孝者だが、この言葉だけは今でも守っている。
あと数日で、お盆だ。我が家は禅宗なので、盆施餓鬼がある。毎年自分は仕事を休んでお参りしているが、今年は久しぶりに娘も一緒だ。
娘は何を思ってお参りするのだろうか。父の何かを思い返したりするのだろうか。