淡白マスヲのたんぱく宣言 

アラフィフのオッサンの雑記。夜遊び、芸能ネタ、日常的なことから社会的なことまでを、広く浅く、そして薄い視点で書くので気楽に読んでください。

『女』の『又』の『力』と書いて

 今朝、通勤中にスマホTwitterをしていたら、次のようなツイートを見つけた。


 見た瞬間、自分に刺さった。そんなツイートは久しぶりだった。

 そして、このツイートから亡くなった父親の口癖を思い出した。
 自宅で晩酌をして酔っているときなどに、つぶやくように言っていたのをよく覚えている。
 努力なんてするな、と。父は努力という言葉を軽蔑していた。この後には決まった父の台詞があった。
『努力』の『努』はどうやって書く?と。『女』の『又』の『力』と書き表すことを、続けたものだ。ちょっと照れ笑いしながら。

 亡くなった父は、女性を卑下しているような生き方をしていなかったと思う。スケベな冗談も良く口にしていたし、女好きなことを自己肯定もしていたが。
 自分で機械設計の事業をしていたが、従業員のエンジニアは男性女性の区別なく、採用していた。
 また、地方や国政選挙の際は候補者の性別に区別なく投票していた。

 何より、別居している妻も自分の父が好きだった。父が亡くなった後、通夜も葬儀中も泣いてばかりいた。
 自分の娘も死の意味がわかるのか、わからないかくらいかの年齢だったが、悲しんでいたのがわかった。
 見合いで結婚した母親も、父のことをかなり思っていたことを時間が過ぎるたびに、思い知らされ続けている。様々な思い出話などの口ぶりで。

 見舞い客も、女性が多かった。癌が酷くなり、夜自分が思うように眠れなくなっていることを悩んでいたら、見舞いに来てくれた女性の友人の言葉に助けられたようだ。
 その言葉を笑いながら自分に話してくれた。夜、寝むれないなら、昼寝ればいいのよ、と。
 8回見合いして、7回目の相手と結婚した父。晩年は身近な女性には結構もてていたように思う。

『努力』という言葉が嫌いと言っていた、父。俺はストレスなんか感じない、ともよく言っていた。
 だが、内臓に癌が転移をしたために二度執刀してくれた主治医によると、父の胃は胃潰瘍の後が多数、見られたという。かなりのストレスを抱えて生きてきたのではないか、ということも話してくれた。

 人を雇って事業をしていたので、やはり苦労もあったのだろう。
 それを思わせるようなことを子供のころから、自分はよく言われた。自分で事業をするな、サラリーマンか公務員に成れ、と。
 親の言うことをそれほど守っていない親不孝者だが、この言葉だけは今でも守っている。

 あと数日で、お盆だ。我が家は禅宗なので、盆施餓鬼がある。毎年自分は仕事を休んでお参りしているが、今年は久しぶりに娘も一緒だ。
 娘は何を思ってお参りするのだろうか。父の何かを思い返したりするのだろうか。