淡白マスヲのたんぱく宣言 

アラフィフのオッサンの雑記。夜遊び、芸能ネタ、日常的なことから社会的なことまでを、広く浅く、そして薄い視点で書くので気楽に読んでください。

電気ケトルが壊れた朝に

 毎朝、洗顔したあとに一番にすることがある。それは電気ケトルのスイッチを入れること。毎晩、寝る前にケトルに水を補充してからベッドに入る。
 朝、スイッチさえ入れれば素早くお湯が沸き、コーヒーも煎れることが出来るし、味噌汁やスープを1人分作るのだって容易いからだ。

 だが、今朝は勝手が違った。スイッチが入らないのだ。どうやら、電気ケトルは壊れたらしい。
 仕方がないので、小さな鍋でお湯を沸かした。そのために、朝からせわしくなってしまった。

 壊れた電気ケトルは、ある日突然妻が買ってきたものだった。それまでは、電気ポットを使っていたのだが、エコじゃないことを理由にして、電気ケトルを使用することを彼女は一方的に宣言したのだ。
 自分はコーヒーだけでなく緑茶を飲むのも好きなので、電気ポットを重宝していたのだが。

 渋々使いはじめた電気ケトルだったが、使い出すとポットよりも自分は便利に感じた。料理をする際に意外と時間がかかるのは、お湯を沸かすこと。
 パスタやうどんなどの麺類をゆでるときもお湯が必用だし、味噌汁やスープを作る際にもお湯が必用だ。お湯を早く沸かすことが出来れば、大抵の家庭料理の調理時間は短縮できるからだ。
 妻と一緒に生活していたころも、料理は自分が作ることが多かった。次第に電気ケトルを使いこなすのも上手くなった。

 そんな電気ケトルが何の前兆もなしに、突然使えなくなってしまったのだ。使いはじめてから、何回目かの秋の朝に。
 朝食を食べながら外を見ると、雨が降っている。天気予報では昼までは雨。出勤するときには傘が必用だった。
 通勤中に、妻と記憶を共有していたものが、またひとつ消えてしまったと、考えていた。仕事から帰ったら、電気ケトルを買いにいくことも。

 一昨年くらいに、食洗機が壊れたので、すぐに再購入した。独り暮らしなので、以前使っていたものよりも小型のものを。
 食洗機を購入するときも、妻が購入を希望して自分は反対したが、結局は彼女に押し切られた。
 だが、食洗機も使い出したら便利で、食洗機の無い生活は考えられなくなっていた。

 形あるものはいつか壊れる。壊れたものにどのような思い出や記憶が残っていたとしても。
 今、自分がこの文章を書いている際に使用している液晶モニターも、生前の父が使用していたもの。形見の品とも言えるが、このモニターもいつかは映らなくなる日がくるだろう。それもある日突然に。