淡白マスヲのたんぱく宣言 

アラフィフのオッサンの雑記。夜遊び、芸能ネタ、日常的なことから社会的なことまでを、広く浅く、そして薄い視点で書くので気楽に読んでください。

秋ど真ん中の3連休最後の日に

 昨日までの秋ど真ん中の3連休。どのように過ごした人が多かったのだろう。自分には特筆すべきことは、ほとんど無い。
 毎日、日中は副業先のラーメン屋で働いて、帰ってからは昼寝をするということの繰り返し。最終日の体育の日以外は。

 体育の日は、朝から気持ち良く晴れていた。空は高く、雲もほとんどかかっていなかった。
 朝食を食べていると、カラスの鳴き声に打ち消されそうな声が、聞こえてきた。秋の虫たちの。
 連休の中で、一番秋らしい日になりそうな予感がした。

 アルバイトを14時で切り上げると、そのまま最寄りの駅に向かった。途中で地下鉄に乗り換えて、ある日赤病院の名前が付いた駅に向かった。15時に小学校からの友人と待ち合わせをしていたからだ。
 5分ほど遅れて友人が到着すると、2人で目的地に向かって歩き出した。

 目的地はある集合墓地。20代半ばで亡くなった友人の墓を参るためだ。自分はおそらく10年以上は墓参していない。同じ小中学校に通った友人なのに。
 今年の節分に、中学と高校が一緒だった友人の墓参りをしたが、その後にもう1人の亡くなっている友人のことも気になっていた。
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 先日、待ち合わせた友人に墓参りを誘うと、承諾してくれた。昨日、訪れようとした友人の墓地は何度か訪れているが、どうしても覚えられないので助かった。
 節分にお参りした友人の墓も、独りだけでお参りしようとすると迷ってしまい、すんなりと辿り着くことは少ない。

 連休最後の日の午後の集合墓地に、人はまばらだった。墓地の入口で供花を売っている店が軒を連ねていたが、どの店も暇そうだった。ある店で、一番簡素な花を買った。
 墓地の中を歩くと、しばらく誰もお参りした形跡のない墓標や、空き地になった場所も目立った。墓の管理が、今日的な問題になっていることをうっすらと感じた。

 友人のおかげで、故人の墓標までまったく迷うことがなかった。5年ぶりなのに。どれくらいお参りしていないのかを、歩きながらの会話で知った。
 お互いに故人が何歳で亡くなったかを話したが、正確な年齢を思い出せなかった。
 亡くなった人、無くなってしまった物の記憶は、どうしても風化していく。寂しい気もするが。

 お参りを終えると、16時にもなっていなかった。少し早いがお酒を呑む気満々だった自分。周辺で適当な店を探したが見つからない。
 学生の街で昼からお酒を呑めるような店がないのは、ある意味健全だが。
 仕方がないので、近くにあるショッピングモールのフードコートとファミレスでビールを呑みながら、17時まで時間を潰した。

 17時を過ぎると目星をつけていた焼鳥屋に河岸を変えた。何時まで居たのか、正確な時間は覚えていない。21時くらいまでは居たような気はするが。まったりと2人でお酒を呑みながら。
 その後、隣にあるラーメン屋でラーメンを食べて帰宅した。

 帰宅し、シャワーを浴びてベッドに入ると、すぐに眠りに落ちた。お酒が残ったまま眠ったのにもかかわらず、わりと深い眠りだった。今朝の目覚めが良かったからだ。
 生きているかぎり、目が覚める。目覚めの悪いときがあったとしても。