淡白マスヲのたんぱく宣言 

アラフィフのオッサンの雑記。夜遊び、芸能ネタ、日常的なことから社会的なことまでを、広く浅く、そして薄い視点で書くので気楽に読んでください。

図書館と紙ヒコーキ

 自分が通学していた小学校の学区には名古屋市の図書館があった。
 小学校に進学するまでは、自分が遊び回る縄張りは狭かったが、就学してからは一気に縄張りは広まった。その縄張りの隅のほうに、図書館はあった。

 最初に図書館に足を踏み入れたきっかけは、友人に誘われたからだ。それまでは図書館というものさえ、知らなかった。
 といっても、本を読んだりしたわけではない。自分の友人は双子の兄弟の弟。友人はわりと大人しかったが、顔のそっくりな兄貴は当時、はっきり言って悪ガキだった。
 悪ガキほど、まわりの子供を刺激するような、楽しい遊びを思いつく。

 その時も図書館の窓から、紙ヒコーキを作って飛ばすことを提案したのだ。
 図書館は鉄筋3階建て。今から40年前の3階の高さは小学1年生の自分にとって、ワクワクさせるのに充分だった。自分が平屋に住んでいたこともあって。

 3階の窓を開け放ち、図書館に面している小さな公園に向かって、自作の紙ヒコーキを飛ばした。
 ヒコーキの材料に困ることはなかった。館内には利用者に向けた告知をするための様々な、印刷物が大量に置かれていたからだ。

 紙の大きさ、堅さやしなやかさまで考えると種類はいくつもあった。何がプリントしてあったかには、まったく興味を持てなかったが。
 折り方や飛ばし方ももちろん試行錯誤したが、それ以上に材料が違うだけで飛び方が違うことを自然と学んだ。
 紙ヒコーキを飛ばしていた季節はちょうど今くらい。秋風に上手く乗った飛行機の姿が今でも印象に残っている。くっきりとした空気に螺旋を描いたような軌跡を。

 風を捕まえるためには、タイミングだけでなく投げ方も大事。自分が作った飛行機を公園まで取りに行き、また階段で3階まで上がって公園に向かって飛ばすことを、飽きることなく繰り返した。
 当時の公園には樹木の種類はわからないが、日よけのための棚があった。名機だと思った飛行機も、その棚に載ってしまうこともしばしばだった。初飛行で不時着してしまうような不幸も何度か味わった。


 思い出深く楽しい遊びは、ある日突然終わりを迎えた。図書館員にきつく、怒られたからだ。
 その後も双子の友人宅から、図書館は近かったために何度か訪れたが、紙ヒコーキを作って飛ばす以上に自分を刺激するようなことを見つけられなかった。
 児童書コーナーは子供が興味を持ちやすいように、館の職員たちによって内装や本の陳列なども工夫されていた。
 それがかえって子供扱いされているようで、当時の自分は気に入らなかった。

 逆に憧れの場所もあった。それは書庫だ。当時、子供が入ることは禁じられていたこともある。
 職員の目を盗んでは時々、1階の一番奥にある書庫に侵入した。本を選んでいる人を見つけると、自然と憧れを抱いた。
 本の保護のためだと思うが、日差しが遮られていた。薄暗い中で本を真剣に選んでいる様子が、とても大人びて見えたからだ。

 まさか自分が時折、そのような大人になっているとは、不思議な気がする。
 少しくらいは自分も、なりたかった大人になれている部分があることは、ちょっとした幸せだ。