淡白マスヲのたんぱく宣言 

アラフィフのオッサンの雑記。夜遊び、芸能ネタ、日常的なことから社会的なことまでを、広く浅く、そして薄い視点で書くので気楽に読んでください。

二十三回忌と七回忌

 桜の咲くころになると、過去の何かを思い出す人は多いのだろうか。桜にちなんだロマンチックな記憶は自分にはない、残念ながら。
 あるのは少し寂しい記憶だけ。それも、多くの人が避けがたいことだ。

 自分の父親は桜が咲くころに膵臓癌で亡くなった。自分や母は主治医から、桜が咲くまで持つかどうかと聞いていたので、それなりに気持ちの準備は出来ていた。

 父が亡くなってから月日は流れて、今日が七回忌だった。昨年末くらいから母は父の七回忌のことを気にしていたが、もうひとりの身内の法事のことはすっかり忘れていた。母だけでなく、自分と弟も気がついていなかった。
 祖父、父親の父親が今年で二十三回忌になるのを。
 年が明けて檀家になっている境内の墓地へ参りに行くと、水汲み場に張り出されているのを見て、母は知ったらしい。

 祖父が亡くなったのは春ではなかったが、母はお寺に一緒にならないかを相談したら、二つ返事で了承してくれたらしい。
 今日、二十三回忌をきちんと執り行う檀家はどれくらいいるのだろう? 自分たちは、祖父の二十七回忌をどうしているのだろう?

 令和初めての三月最後の日曜日に、母と弟と三人だけで法事は行われた。親戚一同が集まらないのは、今日的で珍しくはない気がする。世間のほとんどの人は、時間とお金に余裕がないのだろう。
 一応、自分の娘が参列できないかを妻に聞いたら、無理だと言われた。
 このことについては、妻に腹を立ててはいない。死者よりも生者の事情が優先されるのは、当たり前のことだから。

 お寺の本堂でパイプ椅子に腰掛けて、和尚の読経を聞いていた三人。
 他の二人は気がついていないようだったが、自分は気がついたことがある。祖父の戒名の呼び方を間違えていたことを。
 祖母と祖父の戒名は覚えている。呼び方や意味も。
 だが、父の戒名は覚えていないし、自分の中では覚える気もなかった気がする。父には申し訳ないと思ってはいるものの、どうしてだろう?

 一方、父が亡くなった日にちは覚えているが、祖父と祖母の命日は憶えていない。
 三人の誕生月は憶えているが、今となってはあまり意味がないのだろう、きっと。

 三人は居士でも大姉でもない。仮に価値がある戒名をもらったとしても、法事で名前を間違えられるようでは、意味があるとは思えない。
 もっとも、人は生きていてこそ。こんな状況だからか、このごろはより強く思える。
 死んでから魅力的な異性に涙を流されたとしても、本人は知ることができないのだから。

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今日の写真のモデルは初登場、平木亜美さん。