在宅になってからは、不安な自分の気持ちを紛らわしたいという欲求のせいなのだろうか。
普段、なかなか連絡を取っていなかった友人たちに連絡することが多くなった。
年賀状繋がりだけになっている人に電話をかけたり、遠くに住んでいるために年に一度くらいしか会っていない人にショートメールを送ったり。
そんなコミュニケーションの中で、久しぶりに自分の心を明るくさせるような話を聞いた。
仕事で知り合った友人が近いうちに結婚をするらしい、と。その友人は年上の女性。
彼女は自分の知己の中では一番のミニマリスト。
ライフスタイルに憧れているし、自分が大きな影響を受けている彼女が50代になってから、新しいスタートを切ることを心から祝福したい。
友人がパートナーとゴールインしたかと思えば、まだまだゴールが見通せないこともある。
生き続けていく中では、そんなことばかりなのかもしれない。
誰にだって遠くは見渡せないし、見えないことを知ることは難しい。
それでも、手が届くほどの距離にあって見えているものを観察して分析すること。
ひとつひとつの問題に対してのゴール、目標を設定することは重要なことだし、可能だろう。
自分が今、一番気になっているゴールは、新型コロナウィルスのパンデミックの収束。
あまりにも大きいことなので、自分には想像がつかない。
次に気になっているのは、全国にも拡大された緊急事態宣言の解除について。
期限は五月六日までになっているが、その日が来た時に本当に解除できるのだろうか。
多くの国民が無理だと考えているようだが、自分もそんな一人。
宣言を出したはいいが、出した本人がその後のことをどれほど想定していたのかが気になっている。
コロナ関連の政策があまりにも右往左往しているのが、どうしたって気になる。
誰かの言葉ではないけれど、政治は結果が全て。
他人の言葉を書いているだけで自分は恥ずかしいのだが、口にした本人はどう思っているのだろう?
そんな感性をあの人が持ちあわせていたのならば、もっとマシな状況になっているはずと思えて仕方がないのは、自分だけなのだろうか。
そもそも、一度でも大事な仕事を投げ出した人間に、セカンドチャンスを与えるなんて、日本人はあまりにも優しすぎる。
その優しさを仇で返され続けていたことを、ようやく気がつき始めた人も多そうだが、あまりにも遅すぎる。気がつかないよりはマシなのかもしれないが。