今日はblogで何を書くかがまとまらなかったし、今現在もまだまとまっていない。タイトルだけは早々と決まったのに。
一部の地域を除いて、緊急事態宣言は予定通りに解除された。自分が住む街、愛知県も含めて。
だが、イマイチ釈然としない。何かが変わったような感覚があまりにも無いからだ。
少なくとも一昨日と昨日は自宅で仕事をし、その後に整骨院で治療を受けているということは変わっていない。
肩の可動範囲が多少は大きくなったが、五十肩の痛みとしびれは残ったままだ。
治療先で今日、施術をしてくれたのは院長。自分よりも見た目は20歳近く若い男性だ。辻仁成の小説風に表現するならば、好青年と書けるだろう。
自分が家を出た時に宣言は解除されていたが、そのことを院長は全く知らなかった。というか、それほど興味を持っていないようにも感じた。 この3日間、買い物をしていない。昨日と今日は鍼治療まで受けたので、時間が取れなかったこともある。
今夜は少し迷ったが、結局は家にあるものだけで夕食を済ませた。
ついに買い溜めておいたインスタントラーメンのストックが切れてしまった。カップと袋入りのインスタント焼きそばがひとつずつだけ残ってはいるが。
乾麺はまだストックがある。うどんは二束、パスタはほぼ一袋、素麺はまだ数㎏残っているが、それらと一緒に調理するための素材は乏しくなっている。
一方、お酒はまだ充分にある。先週の土曜日、久しぶりに悪酔いしたのに懲りてから、酒を控えているから。
冷蔵庫に缶ビールが数本、冷えているままだ。
仕事で心が曇ったし、宣言が解除されたのでビールのプルトップを開けるかを迷った末に今夜も飲酒を辞めた。
今後、皆の期待通りにコロナの感染は右肩下がりでおさまっていくのだろうか。
そうなれば、自分の仕事の場は在宅から、客先のオフィスに戻るだろう。
それはそれで納得はできるが、そのことに今の自分が順応できるかが気になっている。
人と会わないようにしていたせいで、多くの人に接することに耐えられるかが心配になってきた。
一番気になっているのは満員の通勤電車。人いきれのする車内に耐えられるだろうか。
在宅勤務が始まった当初は、誰にも会うことがない暮らしにストレスを感じていたが、今ではすっかり逆。
このまま年老いて死ぬまで静かに暮らせたら、どんなに楽だろうかと考えはじめた自分がいる。
一人での暮らしが不便でなければ、誰にも喜ばれない仕事を放り出して、ひっそりとこのまま過ごすのも悪くないと思っている。