このblogを書き初めてからしばらく経ったころ、ただなんとなく三年くらいは続けたいと思いはじめた。
毎日、一記事ずつ書いているこのblogはこの記事で1165個目、今年の四月のある日に四年目を迎えた。
緊急事態宣言が政府から発出されたころで、自分はコロナチキンになって巣篭もりしていた。
平日は在宅で仕事をするだけのつまらない毎日だった、あのころ。
目的だった三年が過ぎてからは、このblogを辞めようかと何度か思ったことがある。
続いていること、続けているものはいつか終わりが来る。自分の意思以外が原因で終わるよりは、面倒臭いからというような理由で雑に幕を降ろしても、後日になってからは納得がいくだろう。自分が主体的に決めたのであれば。
直近ではパソコンを修理に出したタイミングでも、このblogを辞めることを考えた。
正直、書きはじめたころは文字を並べ、言葉を選んで文章を紡いでいくだけでも楽しかったことが多かった。自分の感覚、感じ方や考えなどを文章にして現すことが。
文章によって自己を表すことの楽しさを、このblogを書くことを通じて取り戻すことができ、結果として10数年ぶりにふたつの小説を書くこともできた。
だが、最近は文章を書くことで楽しさを味わうことはほとんどない。
文章から写真へと自己の表現への興味は、移ってしまった気がする。
こないだの週末、土曜日と日曜日にポートレートを撮った。それぞれ一人ずつの女性をモデルにして。
その彼女たちは、このblogを目にしたことがあるようだ。驚きと恥ずかしさ入り混じった感情を味わった。
書くことが苦痛に感じることは増えてきたが、過去の自分に触れることができるのは、意外に楽しい。
先日、半年くらい前の記事を読み始めたら、止まらなくなってしまった。
記事毎に書いてあった日常に変化があったことも、興味を惹かれた。
また、文末に掲載してあるポートレートも。
当たり前のことだが、人は少しずつ変化しているはず。その変化を自分が残した文章と写真で感じることができたのは、有意義だった。
ただ、それだけでもblogを続けることが、自分に対して意味があるのかもしれない。面倒に感じることが増えていても。