昨日はお客の会社では締日にあたる二十五日。
仕事場を離れる人が、メールで離任の挨拶を送ってきた。
時代錯誤のような気はするが、今の現場では珍しくないこと。
メールの数が少ない現場だということもあって、仕事に直接は関係がないものでも全部のメールに目を通している。
一日に200や300通のメールが届くような現場で働いたことがあったので、パソコンのモニターで文字を追うのをそれほど負担には感じない。
その文面を自分が理解できているのかは別にして。
送ってきたメールの差出人が一人、印象に残った。自分と同じような外注ではなく、客先のプロパー社員だった。
その社員は三十年以上も勤めた会社を、昨日で退社したらしい。どうやら定年ではなく、早期退職だったようだ。
顔は知らないがメールに書かれていた文章と名前から推測するに、おそらく男性だったのではないか。
新卒で入社した彼。一緒に入社した同期は、どれくらいが彼よりも早くその職場を去ったのだろう?
東証に上場している会社とはいえ、数年前にいくつかの会社が統合したので、その影響を受けて去った同僚も少しはいるのかもしれない。
彼はセカンドキャリアをどのように描いているのだろう? ひょっとしたら、自分の叔父のように次の職場を探さずに、そのままリタイヤ生活に入っているのかもしれないが、どうだろう?
ちなみに叔父、実母の弟は五十代半ばで会社に辞表を出して、その後はのんびりと暮らしている。
かつての自分の上司も、某NECを早期退職していた。役職定年になったことが理由だったようだ。
かつての部下に使われなければならないことに、我慢がなかったようだ
会社が用意してくれたコンサルにも世話になったが、結局に流れ着いたのは形式上だけは新興市場に上場している、三流のベンダー。
そこで使いづらくて使えないエンジニアを部下として持つことになった。そのエンジニアとは自分のこと。
父がまだ生きていたくらい、昔の話だ。
考えたら、かつての上司や叔父たちが早期退職した年齢に、かなり自分は近づいている。
見た目や体力だけでなく、思考能力や記憶力も衰えている自覚は充分にある。髪に白いものが増え、肩が上がらなくなり、睡眠が浅くなってきても、歳を考えると普通なのかもしれない。
人生のターニングポイントを迎えつつある、自分の同級生たちは増えているのかもしれない。
自分が死ぬときに人生を振り返る時間があるのなら、何を思って、何を考えるのだろう?
この先にはまだ、いくつかのターニングポイントが残っていると考えているが、今の自分にはもちろん何もわからない。
明日もただ歩いていくだけだ。何もわからないままに。