久しぶりに焼き肉屋に赴いた。昨夜、近所のチェーン店、『あみやき亭』で地元の友人たちと三人で会食した。
以前に訪れた時と比べて気がついた違いは以下の三つ。
来客が少なかったこと、サラダバーが閉鎖されていたこと、店のスタッフがマスク姿だったことだ。
友人の一人は外での会食を気にしているようで、自分の家でお酒を呑みたかったようだが次のような言葉を連ねてLINEで送った。
『それでもいいけど、あみ焼き亭に行かない? 今日の東京の感染者は100人超えみたいだから、今のうちだと思うんだよね。』 案の定というか、想定内のことが今日の昼過ぎに発表された。
東京都内の新型コロナウィルスの新規感染者が前日に引き続いて100人を超えて124という数字になったことが。
今日で緊急事態宣言が解除されてちょうど二週間。
感染者は再び、右肩上がりが続いていくのだろうか。二週間先には、どうなっているのだろう?
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緊急事態宣言が出された中、コロナ巣籠もりを続けている日々であることを思うようになった。生きていることだけでもラッキーなんだと。
50年近く生きていればそんな感慨にふけることだって、たまにはある。
最初にそんな気分になったのは二十歳のころ。
成人式を過ぎたころに中学と高校が一緒だった友人が病気で亡くなった。
葬儀の時に友人の父が述べた言葉を聞いて、自分が生きている意味について考えるようになった。その後、しばらくの間は。
父親や身内だけでなく、これまでに何人かを見送ってきた自分。
薄情かもしれないが、その中には墓参をしていない人も多い。
自分の父親に対してだって彼岸、お盆、正月と法事くらいしか、墓へは足を向けていない。
新型コロナの感染があるていどに落ち着いたら、地元の友人たちにあることを提案するつもりでいた。
近場でも構わないので一泊の旅行か共通の友人の墓参を。
方向性は全く違うが、互いに今の世で生き残っていることを確認したかったからだ。
自分の心情をなんだか上手く表現できていないが、仕方がない。自分の文章能力なんてそんなものなのだろう。
だが、今の状況を考えると、軽はずみにそんな提案はできない。
旅行はともかく、何人もが集まって墓参りすることも。
インターネット黎明期にはすでに、ネット上での墓は設けられていたらしい。
現状、どうなっているかが気になったので調べて見ると、やはり需要があるのか続いているようだ。
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葬儀が新型コロナのクラスターとして報告されたことが印象に残っている。
墓参りだけでなく法事、通夜や葬式もオンライン化されていく流れも出来ていくだろうし、それでも構わないと自分は思う。もちろん、寂しさは感じるが。
墓を建てても、墓守が出来ていない人が多いように見える。自分だって、他人のことはとても言えない。
維持が難しいのであれば、物理的なものに拘る必要はないだろう。
生きていることに価値があり、生きている自分を中心に考えていることを、他人が非難できるのだろうか。