朝礼がある学校や職場はどれくらいあるのだろう?
今でこそ奇妙に思うし、全体主義を連想してしまうのは自分だけだろうか。
朝礼時に従業員全員でラジオ体操をしたり、社訓を唱和させたり、社歌を斉唱させたりするのには危なさを通り越して、コメディーのように見えてしまう。
その時間をしなければならない業務を消化するために充てた方が、効率的ではないのだろうか。 自分が小学校に入学した40年も前の話。
雨や雪が降らない場合は毎朝、全校生徒が運動場に集まって朝礼が行われていた。
高学年のころに、水曜日だけが先行してテレビ集会になった。
それまでの毎水曜日は、歌集を持って生徒は運動場に集まることになっていた。
アコーディオンを持った先生が朝礼台に登壇して、月毎に決まった曲を演奏しはじめる。
そのメロディに合わせて生徒が歌うことになっていた。
テレビ集会になってからは、明らかに歌わない生徒が増えた気がした。
今思うと当時の先生たちも試行錯誤の連続だったと思う。
客先の現場で働いていると、お客の会社から朝礼などへの出席を求められることもある。
コンプライアンス的には、はっきりと拒絶できるのだが、子供っぽい自分もそのことについては大人の対応をしてきている。
それでも正直、よその会社の社訓を口にすることだけは違和感を覚えた。
かつて、自分が勤めていた会社の朝礼内では三分間スピーチがあった。
古くさい組織や体育会系の会社では珍しくないのかもしれないが、ラッキーなことに最近の自分には縁がない。
コロナ禍でオンラインによるテレワークになっても、朝礼を行っている会社や現場はあるのだろうか。
その当時、朝礼内のスピーチで同僚は次のようなことを語った。仕事においては準備が重要だと。
スピーチが終わると、自分たちの上司がそのテーマについて絶賛したことが記憶に残っている。
仕事については知らないが、自分が好きなことに準備をすることが増えてきた。このごろではポートレートを撮る前に。
ポートレートを撮るロケ地は大まかには決まっていることが多いので、前日までにカメラを片手にブラつくこともある。
当日までに前ロケができなかった場合は現着時間を早めて、偵察することもある。
その成果が写真に現れているのかはわからないが、準備が楽しみのひとつにもなっている。