まだ5ヶ月以上も残っているが、今ここで今年の新語・流行語大賞を予想する。
というか、誰もが思っているあのウイルス名になるだろう。よっぽど、国内を震撼させるような事件か事故でも年内に起こらないかぎり。
今年になってから『新型コロナウィルス』と同じくらい強く感じている言葉が、自分にはある。その言葉とは、『自分さえよければ』。
実はこの言葉をタイトルにして、文章を綴りたいと思うようになってからかなりの日数が経っていたが、ずっと躊躇っていた。あまりにもネガティブな内容になることの想像がついたから。
それでも、自分には嘘をついたままだと疲れるので、今日はこの言葉を掲げて、このblogを書き進めたい。
コロナ禍になってからは世間でよく言われるようになった言葉、『自分さえよければ』。
もっと前から、自分は心底でこの言葉をぼんやりと思いながら生きていたような気がする。仕事やお金などをより意識しるようになってから。振り返ってみると、結婚がひとつの契機だったのではないだろうか。
上司、お客たちが言う台詞が嘘っぽく聞こえるようになったのは、自分が大人になれた証拠だったのなのかもしれない。
『自分さえよければ』の言葉を具現化している人物としては、ある政治家が真っ先に思いつく。我らの首相、安倍晋三くんだ。
そんな問題ある人物を首相に選び、そのままにしているのは自分たち。
日本の国民はそれくらいの民度しか、持ち合わせていないのではないだろうか。
つい数ヶ月前、副首相が日本国民の民度について誇らしげに口にしたが、今となってはブーメランとして返ってきている。
彼はそのことを自覚しているのだろうか。少なくとも自分は失笑してしまったが。
mainichi.jp
独身のころ、システムエンジニアの仕事に就くまでの自分はかなりの甘ちゃんだったと、今になって思う。
簡単に人を信じ、社交辞令さえ鵜呑みにしていた性格を新婚のころは妻に何度か忠告された。
その方が世知辛い世の中を生きやすかったかもしれないが。
今までに自分が、一番勘違いしてしまった他人は妻。そのことを自覚することができただけでも、結婚したことに意味はあったのではないかと思うし、自分にとっては皮肉でもある。