かつては死後のことについてよく考えていた。死後の世界はあるのか、死んだあとに自分がどうなるのか、死んだ自分のことをその後の世界ではどう扱われるかなどなど。
この世で自分が消えたとしても、爪痕として何かを遺したいと思いはじめたことが自分の中で膨らんで、小説を書きはじめた動機のひとつになったような気がする。
だが、その考えは変わった。身近な死、父の死の影響を受けて。
60代の末に、死病だと言われる膵臓がんを医者から宣告され、数年の闘病後に71歳でこの世を去った父。
死期がせまったある日、二人きりの病室で父が口にした言葉は、まだ死にたくない。
聞いた後、自分がかなり動揺したこともはっきりと覚えているが、その場で自分がどう対応したのかは全く記憶にないが、何も答えられないでいたのかもしれない。
自分から見た父はいつも大きな器に見えていたので、より印象に残っているのだろう。
自分が父に抱いていた幻想は新進気鋭の占い師でもある母にぶった切られた。
父は子供っぽい性格だったと、身につけた占術を根拠にして躊躇なく自分に口にした。
しかもそれは、つい最近のある日のことだ。
母の見立てにはさらに驚ろかされた。自分よりも弟の方が性格は父に似ているらしいから。外見は自分の方がそっくりなのに。
父方の血筋の男性はほぼ全員が子供っぽいらしい、自分以外を除いては。確かに一緒に住んでいた祖父や父の弟である叔父のことを思い返すと、子供っぽさがあったような気がするし、弟以外の男性がパチンコ中毒だったのも、そのことが理由なのだろうか。
見た目に反して自分の内面があまりにも幼いように思えてウンザリすることがこのごろは多かったが、新進気鋭の占い師の無償奉仕によって、ほんの少しだけ慰められた気がする。
弟に比べると友人や知己が多い一方で、人付き合いに煩わしさを感じることも、大人びた一面を持っているからのようだ。
父と自分が似ている点は家庭で安らげないことだと、聞いてもいないのに母は教えてくれた。
父が亡くなった後にそのことに母が気づいても遅すぎる気はしたが。
母によると、家庭でくつろげないタイプの人はパチンコなどに夢中になりやすいとのこと。
言い訳に聞こえるかもしれないが独身の一時期はパチンコを辞めていたが、妻と知り合ってからはまたお手軽なギャンブルにはまってしまった。
妻と別居してからは、パチンコにもパチスロにも魅力を感じなくなったのは、そういうことなのだろうか。
もし、父が母と離婚していたならば、どうなっていたのだろう? パチンコをあっさり辞めていたのだろうか。
パチンコホールへ通っている人の多くは、安息できる他の場所がないのだろうか。
確かにパチンコやパチスロに熱くなっている間だけは他のことを忘れられるのは経験上、理解できるのだが。