淡白マスヲのたんぱく宣言 

アラフィフのオッサンの雑記。夜遊び、芸能ネタ、日常的なことから社会的なことまでを、広く浅く、そして薄い視点で書くので気楽に読んでください。

Guinness

 昨夜、湯船に浸かりながらぼんやりしていると、今まで考えたこともなかったことに辿り着いた。
 その考えとは、今までの人生でのターニングポイントについて。ポイントだと思うことなく通り過ぎてしまった箇所が、大きなポイントだったかもしれないという考えに。

 風呂に入る前はスーパーで買い物をしていた。買ったものの中にGuinnessもあったので冷蔵庫で冷やし、湯上がりの後に呑むことを楽しみにしていたことが、そんなことを考えるきっかけになったのかもしれない。

 Guinnessを初めて飲んだのは30歳の時。
 クアラルンプール空港でマレーシア航空のセントレア行きのフライトを待っていた夜のこと。
 小学校からの友人と一ヶ月にも及ぶバックパッカーの旅を終わらせるために日本へ帰る前夜だった。
 日本円へ交換できないコインなどを使って、空港内のバーで友人とグラスを傾けた。ちなみに友人は普通のドラフトビールを頼んだ気がする。

 今から20年近くも前のことだが、自分たちが旅したマレーシア、タイ、カンボジアベトナムラオスなどは今ほどにグローバリズムは押し寄せてなく、一般の人たちはポピュリズムに踊っているようにも見えなかった。
 日本とは違って忙しくなく暮らしている人たちを見ると、はじめは驚いたがそのうちに憧れさえ抱くようになり、世界で日本人だけが異質の存在であるかもしれないとも考えるようになっていた。
 30歳の時のあの旅で、自分の価値観は確実に変わったはずだ。

 昨晩、浴室でいつの間にか考えていたのは、クアラルンプールで友人と別れていたらという妄想だ。
 当時、友人は今の奥さんと結婚の約束をしていたので帰国を急いでいたが、自分は全く急いでいなかった。

 その後、自分は紆余曲折の後にシステムエンジニアになって、妻と結婚して娘にも会うことはできた。
 だが、あのタイミングで帰国しなかったら、その後の自分の人生はどうなっていたのだろう?

 あのときの日本も世界の中では凋落の兆しを見せてはいたが、まだ今ほどの状態ではなかった。
 20年以上も市民の労働対価は増加していないために、国際的な価値観で価格が決まる車などは市井の人々にとっては高値の花になってしまった。

 一昔前まではローンで車を買うことさえ、人々からバカにされるような雰囲気さえあったのに、今ではディーラーの営業マンに平気で残クレを勧められるご時世。

 もしもあの時にとは、あまり考えることがなかった自分が、珍しくそんなことを思った昨夜。
 今の国内の状況を直視することに疲れたからなのだろうか。

 風呂上がりに呑んだ久しぶりのGuinnessの味は悪くはなかったが、今の自分にとっての黒ビール№1はプレモルの黒。
 スーパーやコンビニで滅多に見かけることが出来ないのは何故だろう?

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今日の写真のモデルはarinaさん。