恋は勘違いからはじまる、としばしば言われる。
勘違いしやすい性格のせいか、どちらかというと惚れっぽい自分。
だが、勘違いすることができなかった思い出が、少なくとも二つある。
しかも、その二つのことが起きたのは結婚後。
結婚するとモテるようになると言われるが、自分には無縁だと思っていた。
だが、今になってその二つのことを思い返すと、もしかしてとも思えてきた。
どちらも10年以上も昔、ある医療法人の情報部に所属していたころの思い出。
自分が勘違いできなかった二人の女性は当時、どちらも20代前半で魅力的だった。
二人は院長兼理事長の秘書として採用されたが、一人は看護部長の秘書にもう一人は事務長代行の秘書にされた後のことだった。
ちなみに自分がその法人に所属している間、正式な事務長は不在のままだった。そのかわりに何人かが入れ替わりに代行として働いていた。
話を元に戻して一人目、事務長代行の秘書との思い出を綴る。
ある日の午後、事務長代行から依頼を受けた。
彼の秘書だった彼女にパソコン入力について説明して欲しいと。
説明した内容についてはあまりにつまらないことだったせいか、全く覚えていない。
事務長代行が職務していたスペースは物理的にオープンだった。
季節は夏の終わりころ、時間は定時を過ぎていたと記憶している。
自分は彼女の横に座っていた。彼女に説明をしている最中に代行は席を外した。
そんな時に突然、彼女が自分に机の下で膝を寄せてきた。
そのことを偶発的なことだと考えていた。自分に言い聞かせていたようにも思う。
ひょっとしたら彼女は自分にサインを送ってくれていたのだろうか。
その後、何もなかったような素振りで自分は彼女と仕事をした。
それなりに動揺はしていたが。
看護部長の秘書だった彼女との思い出は冬の日の午前中。
秘書だった彼女に看護部長室に呼ばれて、何かしらの依頼を受けた後のこと。
看護部長室のパソコンで作業を終えて立ち上がって部屋から立ち去ろうとすると彼女が自分を呼び止めた。
だが、その後の言葉は彼女から消えてしまった。
看護部長室には水槽が置いてあった。その水槽には金魚が飼われていた。
彼女は次の言葉を探していたようだったが、それを見つけることができないようだった。
水槽のポンプの音が静けさを際立たせていた。
結局、そのまま自分は看護部長室を後にした。彼女に対して気の利いた台詞さえ残せないままに。
それから一月もしないうちに彼女たちは出勤しなくなって、そのまま退職した。
彼女たちは自分に何かを伝えようとしていたのだろうか。そうであったならば、そのことに気がつくことができなかった自分が少し寂しい。