淡白マスヲのたんぱく宣言 

アラフィフのオッサンの雑記。夜遊び、芸能ネタ、日常的なことから社会的なことまでを、広く浅く、そして薄い視点で書くので気楽に読んでください。

写真部員

 自分の学生時代は小中高と予備校1年のおまけをつけて13年。集団行動が苦手な人間にしては、13年もよく頑張った。
 運動神経や反射神経がよくないこともあるだろうが、皆と同じ一緒のペースで行進するだけでも苦労した。
 手と足の動きが逆とか、一緒だとかなどのつまらないことを教師たちに注意されたものだ。

 最低限の学校生活だけで窮屈な思いをしていたので、部活動には関わりたくなかった。1秒でも早く学校の外に出たかったからだ。

 小学校は予定通りに帰宅部。中学校は怖い先輩たちに強引に勧誘されて柔道部に体験入部。
 そのまま断れずに入部したが、夏休みに中にはなんとか逃げるようにして退部することができてホッとした。
 その後は帰宅部のバリバリのエースに躍り出た。

 高校に進学したらあるルールが待ち受けていた。生徒は全員、いずれかの部活に入部しなくてもならなかった。
 入学前に知っていたら、その高校を受検しなかったかもしれない。

 帰宅部員になれないのならば幽霊部員になるしかない。そのためには文化部を選んだ方が無難な気がしたので、選んだのは放送部。
 中学時代に懲りて一度も体験入部することなく放送部へ入部した。

 入部した後は人との巡り合わせなどの縁などもあったのだろう。三年の夏休み中までしっかりと活動した。
 三年の担任には早く部活を退いて受検に備えろと何度も嫌みを言われたのに。

 今、思い返しても理不尽な話だ。入学するときには部活に入れと命令し、こちらが部活動に夢中になっているときに辞めろと言うなんて。

 昨日の午後、夕方近い時間に記憶のない電話番号からスマホへ着信があった。
 そんな番号だったら普段なら電話に出ないのだが、昨日は少々退屈にしていたこともあって、気まぐれに電話に出た。
 電話をかけてきた相手は娘だった。
 二年ほどは話していなかったが、まだ自分は忘れられていなかったようだ。

 中学生活は楽しいこと。写真部に入部したこと。部活動では自分が贈ったカメラを使っていることなどを電話で教えてくれた。
 小学校ではブラスバンド部で活動していたと記憶していたが、中学ではまた違う部活を選んだことが興味深かった。

 自分が通った小中高には写真部はなかった。あっても、おそらく入部しなかっただろうが。
 それでも、高校の放送部の活動ではあるコンテストのためにスライド用の写真を何度か撮った。学校の外観や校内の退屈な写真を。
 撮った写真は顧問の教師や先輩たちにケチばかりつけられていた。

 そんな自分がカメラを買って趣味で写真を撮る日が来るなんて。
 そう考えると人生は長い。

今日の写真のモデルは永井ももさん。