淡白マスヲのたんぱく宣言 

アラフィフのオッサンの雑記。夜遊び、芸能ネタ、日常的なことから社会的なことまでを、広く浅く、そして薄い視点で書くので気楽に読んでください。

恋敵は紀貫之

 今朝の通勤時の乗換先の階段である女性が気になった。
 都心の終着駅なので朝の通勤時には混雑しているのに、そんな中でもマスヲの目に映ったのだ。
 その女性の年齢は20代前半に見えた。薄い色のブラウスとほんのりと栗色がかった髪がゆるくウエーブしながら肩にかかっていた。
 そして、その綺麗な髪にわりと地味なリボンをシンプルに結んでいた。
 マスヲの左隣を歩いていたのだが、マスヲが高校1年生のころに憧れていた3年生の先輩に横顔がそっくりだったのだ。
 横顔を見ていると白い肌や耳までもそっくりに見えてくる。見続けているとその先輩のことをどんどん思い出してきた。人ごみのせいもあるが追い越して振り返りざまに前から見る気がなんとなく起きない。
 階段を上がりきり、改札をでるあたりで見失ってしまったのだが、いつもこの時間の電車なのだろうか。
 マスヲはいつもほぼ同じ時間で通勤しているのだが、今の現場は今月末までなので彼女を探すチャンスはあと5回しかないかもしれない。

 マスヲは中学校までバリバリの帰宅部だった。高校に入学しても帰宅部になるつもりであったが、進学した高校は近辺では管理教育で有名な高校で部活に全員所属することが義務づけられていた。
 中学校からの友人たちの多くは囲碁部に入部する意思を示していた。活動が毎日ではないのと厳しそうでなかったからだ。

 マスヲは小学校のころにお昼の放送を担当する放送委員をしたことがあり、その委員会活動がおもしろかったのだがその委員会の1学年上の男の先輩が偶然にも同じ高校の先輩で放送部に所属していたので、放送部に入部することに決めた。
 放送部と言っても放送委員に毛が生えたようなもので、朝礼やお昼の放送などの裏方の作業をするくらいのものだろうと軽く考えていたのだ。

 だが、それが甘かった。この部活は高校内でも活動が盛んなことと厳しいことで有名な部活だったのだ。
 この部活が一番重要視していたのは毎夏に行われる「NHK杯全国高校放送コンテスト」への出場だ。この大会に熱中している人たちは放送部の甲子園に例える人もいたが、それはいささか大げさだろう。
 そもそも放送部がある高校も少なく、県内で活動に力を入れていたのは一部の私立高校くらいだったので、ちょっと頑張れば全国大会への予選にあたる県大会くらいならわりと簡単に上位入賞できた。そして、上位入賞できれば全国大会に出場できるのだった。当時、全国大会の決勝は東京のNHKホールで行われていた。

 NHK杯全国高校放送コンテストは各部門があり、まず個人部門と団体部門とにわかれる。
 個人部門は朗読とアナウンス、団体部門はテレビ番組部門の課題と自由、ラジオ番組の課題と自由、そして研究発表部門の計7部門に分かれていて、マスヲの所属していた高校の部活は毎年すべての部門にフルエントリーしていた。

 まず、この部活の特徴は男女比率のバランスだ。学年にもよるが圧倒的に男子生徒が少なくて女生徒が多いのだ。
 といっても、1年生から見れば先輩の女性とはどちらかというと怖いと思えるような先輩のほうが圧倒的に多かった。
 当時、それでも1、2年生の男子生徒から人気のある3年生の先輩が3人ほどいて、マスヲが今日似ていると感じた先輩もそのうちのひとりだ。

 新入生が入るときには先輩も含めて全員、ひとりずつある程度の長い時間の自己紹介的なスピーチをするのが慣例になっていた。
 その先輩は少し変わっていて、その自己紹介の時に好きな人は紀貫之だと言ったのだった。そう、あの土佐日記を書いた平安時代歌人紀貫之だ。
 マスヲは先輩に一目ぼれしていたので、その話を聞いた時に目の前が真っ暗になった。

 その先輩とは団体部門ではテレビ番組課題部門を作成する同じグループになったのだが、高校1年生から見れば3年生の先輩なんてただでさえ話しかけにくいのに、紀貫之のことを聞いたせいもあってほとんど彼女と話した記憶が無い。
 また、彼女は声が綺麗なことから個人部門のアナウンス部門へ出場することも決まっていたため、作成するグループ活動への参加も他の先輩よりは限られていた。
 ただ、グループ活動でのときにはまずテレビの画面だけを編集してその後に音楽や効果音、そしてナレーションをいれるのだが、彼女がナレーションしている姿を今でも時々思い浮かべる。

 ただ、すぐに部活を辞めることを考えて入部していたのだが、その先輩に会えるのが楽しみでなんとか部活を続けた。
 恥ずかしい発声練習を毎日先輩たちにやらされたことや大会が近付くにつれて土日は毎週のように出席しなければならなかったのに、だ。
 そして、ただ受け身で部活度を続けていたら、いつの間にかNHKホールまで行くことができたが、そのときは当たり前の話だが顧問の先生や先輩たちの実力のお陰だ。
 そして、夏休みに行われた全国大会が終わると3年生たちは部活から離れていった。
 それでもマスヲはなんとなく惰性で部活を続けていた。今ではよく思い出せないのだが、惰性で物事を続けることができるのは良くも悪くも昔からのマスヲの特徴の一つだと思う。

 そして、3年生の卒業式が来た。この部活の慣習として卒業生は全員最後に部室(何故か生物室だったが)に挨拶に来て、後輩たちの前で別れのスピーチをするのだった。
 マスヲが憧れていた先輩は管理教育の厳しい進学校では珍しく東京の声優になるための専門学校に進学すると挨拶した。

 マスヲは先輩の進学先を聞いてびっくりしたが、部活動に真面目に取り組むことに決めた。
 自分の実力なんてたかが知れているかもしれないが、ちょっと頑張れば県大会の上位くらいなら狙えるだろう。
 そして、全国大会まで進むことができれば先輩が会場に激励に来てくれるかもしれない。そうすれば先輩にまた会えるのだ。
 実際、この部活はOBの活動も盛んで嫌われている先輩も好かれている先輩も大会中はもちろんのこと、平日の活動中でさえも顔をだす先輩が多かったからだ。

 実際、マスヲは2年生と3年生のときにも県大会で上位入賞して全国大会にだけは進むことができた。
 だが、残念ながら彼女は一度も全国大会の会場に激励に現れることがなかったので、彼女が卒業して以来1度も再開したことがない。

 それでもマスヲは彼女がいたからこそ、複数の人間でひとつのものを作成する苦労と完成した時の喜びを経験することができた。
 それから、自分でいうのもなんだがマスヲはどちらかと言うと後輩たちから見ると良い先輩になれたらしい。
 自分に甘い分だけ他人、特に年下にも甘いからなのだろうか。

 朝見た女性はひょっとしたらマスヲが憧れていた女性の娘さんなのかなとも、妄想してみた。マスヲが今年45歳なら先輩は2学年上なので47歳だ。
 20代の中ごろに結婚して出産すれば、それくらいの年ごろの娘がいても何も不思議ではないからだ。