私の夏休みはあと三日。残りも少なくなってきた。
だが、娘の夏休みはまだまだ続く。
今日も娘は朝から都内へ出かけている。自分の作業机を占拠してメイクをしてから。
娘がメイクをしている姿を初めて見たときには少し違和感を覚えたが、この一週間でそれにも慣れた。
昨日はヴィトンのカフェでお茶をして、昼には火鍋を食べてきたらしい。
ペットボトルのジュースを買うことさえ躊躇していた自分の高校時代とは大違いだ。
夕方、娘が帰宅したら、妻の実家まで車で送り届ける予定だ。
娘を送り届ければ、この一週間のプチ同棲も終わる。
そして、自分の夏休みの前半を占めていたあるものも、いったんは片付いた。
今年の夏休みは、前半と後半で忙しさがまったく違った。
先週末までは、残っていたポトレの現像作業に追われていたからだ。
だが、現像がすべて終わってからは、のんびりと過ごしている。
ポトレの現像が残っているということは、プライベートでありながら納期に追われているような状態だ。
だが、考えてみればおかしな話だ。
フリーランスの場合は規約にもよるのだろうが、少なくとも撮影会に所属しているモデルへの写真データの送付は、本来、撮影者側の好意によるものだ。現像した写真を送ることは義務ではない。
だが、好意として始まったものがいつの間にか慣習となり、ほとんどの撮影者が現像した写真を送る。それが暗黙のルールになってしまっている。
送ったあとの反応も、相手によってまちまちだ。
最後に写真を送ったモデルは、撮影した日から一か月近く経っていたこともあってか、自分が送ったDMにリアクションのスタンプがついただけだった。
正直、まだ撮りたいと思うモデルがゼロになったわけではない。
だが、それ以上に、彼女たちに自分のお金、時間、そして情熱を差し出すことが馬鹿馬鹿しくなっている。
少なくとも、数か月前の自分にはなかった感情だ。
被写体たちは、撮影者が支払った対価に対して、何を提供してくれるのだろう。
撮影者の技量にもよるだろうが、本来なら、その見返りは撮影者が撮りたかった写真そのものなのだろう。
もし、それが叶わなかったとしても、「彼女を撮ってよかった」と思える何かが必要なのではないだろうか。
今の自分だったら、現像が終わった写真を彼女たちに対面で渡したい。
お茶でも飲みながら30分ほど、撮影した写真を見て、互いにフィードバックする機会があったら面白いと思う。
撮る側と撮られる側、それぞれの視点から写真についてざっくばらんに話すことができたら、互いの成長にも役立つはずだ。
だが、自分の知る限り、そんな機会を設けている撮影会はない。
有益で面白いアイデアだと自惚れているが、そんな仕組みを取り入れる撮影会はあるはずもないのだろう。
もし仮に、そんな奇特な運営があれば、喜んで自分の時間を割くのだけれど。
ちなみに、今の自分のポトレへのスタンスは休止中。
このまま辞めてしまうかもしれない。
また再開するかもしれない。
そのどちらになるのかは、自分の気持ちだけでなく、これからの界隈がどう変わっていくのかにも左右される気がする。






