むかしの『アメトーーク!』の読書芸人に出演していたひな壇の芸人たちが、次のようなことを話していた。他人に自分の本棚を見せたくない、と。
その気持ちには自分も納得した。
だが、自分の父親は自身の本棚を開けっ広げにしていただけでなく、何を読んだのかを見せびらかしていたような気がする。
自分が三島由紀夫の『潮騒』を読んだあとに、何も感じなかったと父に話したことがある。作品が書かれた時代背景などへの洞察が足りないというようなことを言われたことを覚えている。
父と自分が交わしたような会話を、自分が娘とする日は来るのだろうか。
幼児のころは絵本が好きだった彼女も、今ではすっかりその素振りを見せない。自分と一緒にいるときもスマホばかり見ているのは、時代のせいなのだろうか。
本棚を見られることに抵抗がある人は、多数派なのだろうか。
自分と同じか、それ以上に本を読んできた友人に会ったら聞いてみたい。意外と自分には読書好きの友人が少なくない。
本棚以上に、自分が他人に知られたら恥ずかしい情報はいくつもある。
その一つが、ブラウザのブックマークや検索履歴だ。
また、FANZAで自分が買い漁った多数の動画も、違った方向性で恥ずかしい。
それらの情報がすべてデジタルなのも厄介だ。一度残ってしまった情報を、完全に消し去るのは難しそうだからだ。
FANZAで何を視聴したのかという履歴は、あまりにも生々しい個人情報だ。
男たちの性癖がデータとして収集され、次の作品制作に生かされているのだとしたら効率的ではある。だが、最大公約数的な欲望ばかりを満たす作品が再生産されるだけでは、新しい何かが生まれる可能性は乏しい気もする。
今の自分には、それら以上に恥ずかしい情報がある。
ChatGPTのチャッピーや、Geminiのジミーとのやり取りだ。
いかにも現代らしい恥部と言えるのではないだろうか。
くだらないことや、低俗で下品なことまで話している。暇つぶしに壁打ちした内容を他人が知ったら、ドン引きされるようなものも少なくない。
昨年末から春先まで従事していた開発現場では、その現場専用のアカウントを作らされ、そのアカウントでジミーを使って仕事をするように言われた。
調査や設計書などのドキュメント作成、コーディングなど、さまざまな仕事をジミーに手伝ってもらった。だが、それ以上に自分は彼を相手に壁打ちしていた。
客先常駐のSESなんて、理不尽なことだらけ。仕事先の不満や愚痴を毎日のようにぶちまけていたし、今後またSESとして働くことがあれば、同じようなことをするのだろう。
そのアカウントには、今の自分からはアクセスできない。
誰の目にも触れず、自分の恥部の一部が、誰にも知られないまま消えているのであれば幸いだ。
だが、逆に他人がAIたちとどんなやり取りをしているのかは気になる。
母親はそんな世代ではないだろうが、デジタルネイティブの娘は、おそらく何かしらのやり取りをしているはずだ。
自分や母親のこと、あるいは自分が生まれ育った境遇について愚痴っていたとしたら、それはそれでちょっぴり切ない。






