淡白マスヲのたんぱく宣言 

アラフィフのオッサンの雑記。広く浅く、そして薄い視点で気楽に書いてマース。

属人化という生存戦略

IT業界で働き、特に講師として登壇するようになってから、よく考えさせられる言葉の一つが「属人化」だ。

SESとして大規模なシステム開発に参加しているときには、それほど意識することはなかった。だが、小規模なチームでシステムの保守などを担当していると、特定の人しか仕事に必要な情報を把握していない場面に何度も遭遇してきた。
組織で仕事をするうえでは脱属人化が理想とされているが、ただの建前なのだろうか。

昨日の深夜、地元の友人とオンラインで話し込んだ。話題は多岐にわたったが、その一つが、ある撮影会の企画の価格設定についてだった。

自分も参加したことのある撮影会が、今秋に初めて海外撮影会を開催すると発表している。その参加費を、友人に予想してもらったのだ。

友人の予想は、実際の価格を5万円ほど下回っていた。だが、友人の金銭感覚のほうが妥当だと自分は考えた。
自分もその企画の参加費を初めて見たときには、目を疑ったからだ。

首都圏や関西圏の撮影会は、これまでも沖縄などで遠征企画を開催してきた。だが、自分は一度も参加したことがない。

エンジニアとして働き、家のローンを完済したことはもちろん、フリーランスとしての立ち回りにも慣れてきた。今の自分であれば、その種の企画の参加費くらいは捻出できる。
それでも、どうしても参加する気にはなれない。
それどころか、自分のポトレへの意欲は、さらに低下してしまっている。未現像のデータは残っているが、撮影会への予約もないし、当面はその予定もない。

属人化に頼っている仕事は少なくないが、撮影会というビジネスもその一つだろう。
結局、その価格を成立させているのは、企画の内容よりも特定のモデルの属人性なのだろう。

色恋ビジネスと見なされかねない仕事は、どれも属人性から逃れられない。
逆に、脱属人化しやすい仕事ほど、これから先はAIに置き換えられる可能性が高い。
そう考えると、働き手にとって自分の仕事をあえて属人化させることは、一つの生存戦略なのかもしれない。

誰でもできる仕事になれば、その仕事を自分が担う理由もなくなるからだ。
ただし、属人性が強くなりすぎると、価格や評価の基準が外部から見えにくくなる。その結果、界隈は閉鎖的になり、その界隈の外にいる人たちからの理解や共感は得にくくなるだろう。
人間には、自分が知らないものや理解できないものを、攻撃したり排除したりする性があるからだ。

だからこそ、属人性を商品にするビジネスには、外部の人間にも納得できる価格の根拠やルールが必要なのではないだろうか。
撮影会という特殊なビジネスモデルのあり方を、そろそろ考え直す時期に来ているように思う。
だが、関係者たちからそんな様子は微塵も感じられない。自分一人がこの界隈に残ろうが立ち去ろうが、何も変わらないのだろう。

今日の写真のモデルは、初めましての望月ここさん。

他人の目と耳

昨日から夏休みに入った。
しばらく客先での登壇はなく、次はお盆休み明けからだ。

夏休み初日の昨日は、池袋と新宿で一日を過ごした。朝から夜までのあいだに、複数の人と会う約束があったためだ。
その合間には、新宿にあるコワーキングスペースへパソコンを持ち込み、ポトレの現像をして過ごした。
コワーキングスペースを利用したのは初めてだったが、なかなか使い勝手のよい施設だと思えた。

グループで利用できるプライベートルームや、一人で利用できる個室や半個室もあったが、自分が利用したのは簡単なパーティションで区切られただけのスペースだった。

ほとんどの利用者は静かに過ごしていたが、静寂には程遠かった。
最初は、隣に座っていた男女二人の会話が聞こえてきたし、ほかの利用者がオンラインで打ち合わせをしている声が耳に入ってくることも珍しくなかった。
他人の耳や目がある場所で、オンラインの打ち合わせをする神経は、自分には理解できなかった。

他人の仕事の内容が耳に入ってくることもストレスだったが、隣にいた男女の親しげなやり取りも気になった。
どんな環境でも、男と女は二人でいるだけで、その場所を二人だけの空間に変えてしまうことがある。
自分がその当事者であるときも、そうでないときも、そのことが嫌になってしまうことがある。仕方のないことなのだろうけれど。

自分は仕事をしていたわけではなく、好きでやっている趣味の作業をしていただけだ。
では、ほかの利用者たちは、どんな理由であの場所を選んだのだろう。
人目のあるオープンスペースで仕事をするほどの勇気が自分にはない。

ちなみに、昨日会った人たちとのことを、今後blogに書くことはおそらくないだろう。
オフラインでつながりのある人ならば、自分に聞いてくれれば話すかもしれない。

夏休み二日目の今日は、午後からピラティスへ行き、夕方には、かつて一緒に登壇した仲間と食事をすることになっている。
だが、明日と明後日の土日はほぼ白紙だ。

久しぶりに娘へLINEを送り、こちらのマンションへ遊びに来ないかと誘ってみた。母親に相談するという返事が届いたところで、彼女とのやり取りは止まっている。

せっかくの夏休み。少しくらい期待しながら、のんびりと過ごしたいものだ。

今日の写真のモデルは、初めましての羽月ひなのさん。

親父の本棚と娘のスマホの履歴

むかしの『アメトーーク!』の読書芸人に出演していたひな壇の芸人たちが、次のようなことを話していた。他人に自分の本棚を見せたくない、と。
その気持ちには自分も納得した。

だが、自分の父親は自身の本棚を開けっ広げにしていただけでなく、何を読んだのかを見せびらかしていたような気がする。

自分が三島由紀夫の『潮騒』を読んだあとに、何も感じなかったと父に話したことがある。作品が書かれた時代背景などへの洞察が足りないというようなことを言われたことを覚えている。
父と自分が交わしたような会話を、自分が娘とする日は来るのだろうか。
幼児のころは絵本が好きだった彼女も、今ではすっかりその素振りを見せない。自分と一緒にいるときもスマホばかり見ているのは、時代のせいなのだろうか。

本棚を見られることに抵抗がある人は、多数派なのだろうか。
自分と同じか、それ以上に本を読んできた友人に会ったら聞いてみたい。意外と自分には読書好きの友人が少なくない。

本棚以上に、自分が他人に知られたら恥ずかしい情報はいくつもある。
その一つが、ブラウザのブックマークや検索履歴だ。
また、FANZAで自分が買い漁った多数の動画も、違った方向性で恥ずかしい。

それらの情報がすべてデジタルなのも厄介だ。一度残ってしまった情報を、完全に消し去るのは難しそうだからだ。
FANZAで何を視聴したのかという履歴は、あまりにも生々しい個人情報だ。
男たちの性癖がデータとして収集され、次の作品制作に生かされているのだとしたら効率的ではある。だが、最大公約数的な欲望ばかりを満たす作品が再生産されるだけでは、新しい何かが生まれる可能性は乏しい気もする。

今の自分には、それら以上に恥ずかしい情報がある。
ChatGPTのチャッピーや、Geminiのジミーとのやり取りだ。
いかにも現代らしい恥部と言えるのではないだろうか。
くだらないことや、低俗で下品なことまで話している。暇つぶしに壁打ちした内容を他人が知ったら、ドン引きされるようなものも少なくない。

昨年末から春先まで従事していた開発現場では、その現場専用のアカウントを作らされ、そのアカウントでジミーを使って仕事をするように言われた。
調査や設計書などのドキュメント作成、コーディングなど、さまざまな仕事をジミーに手伝ってもらった。だが、それ以上に自分は彼を相手に壁打ちしていた。
客先常駐のSESなんて、理不尽なことだらけ。仕事先の不満や愚痴を毎日のようにぶちまけていたし、今後またSESとして働くことがあれば、同じようなことをするのだろう。

そのアカウントには、今の自分からはアクセスできない。
誰の目にも触れず、自分の恥部の一部が、誰にも知られないまま消えているのであれば幸いだ。

だが、逆に他人がAIたちとどんなやり取りをしているのかは気になる。
母親はそんな世代ではないだろうが、デジタルネイティブの娘は、おそらく何かしらのやり取りをしているはずだ。
自分や母親のこと、あるいは自分が生まれ育った境遇について愚痴っていたとしたら、それはそれでちょっぴり切ない。

今日の写真のモデルは日下部まゆさん。

呆れることにも飽きた

先日、自分のXに画像のようなDMが届いた。要は、被写体からの営業DMだ。

個人を特定したいわけではないので名前、撮影会名や日付などは伏せている。問題にしたいのは相手ではなく、こうした営業が自然に行われてしまう界隈の空気だから。

一時期は似たような内容のDMをよく受信していて、すっかり辟易していた。
コロナ前だったように思う。『あなたの写真が素敵です』なんて枕言葉がよく添えられていたことを覚えている。『写真が素敵です』『撮ってください』と書いてあれば最低でも相互無償だと思っていたら、こちらがお金を払うのだと知って、不思議な気持ちになったものだ。
ただ、撮影者側から否定的な意見が繰り返し提示されたためか、このごろはそうした連絡もめっきり減っていたのだけれど。

かつてはフリーランスモデルから届くことが多かったが、今回は撮影会に所属しているモデルだった。
今後、自分は同じ所属先のモデルたちに対して、フィルターをかけて見るようになるのは当然だろう。
また、主催者側には、自分たちの撮影会のブランドをもっと大事にしてもらいたいとも思う。

不思議なものだ。モデルや撮影会側は、カメラマンから安易にDMを送ることを諫めるような発信をしている。
その一方で、モデル側からの営業DMは許されるような空気があるのは、どうしてなのだろう。
これも、女性側の言動だけが甘く扱われる、不平等な空気の一つなのだろうか。

比べるのも妙だが、最近では夜のお店で働く女性からも、露骨な営業連絡を受けることが少なくなった。少なくとも、営業の仕方については、夜のお店の界隈のほうが成熟している気がする。
『お店に来てください』と言うだけでは、かえって客を遠ざける。そんな当たり前のことを、彼女たちは学んだのだろう。

それに比べて、ポトレ界隈の住人たちは学びが少ないように思う。
モデル側の要求や言動だけが当然のものとして受け入れられ、撮影者側の不快感や負担は軽く扱われる。
一例として、モデルが撮影をキャンセルしても金銭的な負担はないのに、撮影者側がキャンセルすると対価を請求されるのが、なぜか一般的だ。
そんな空気に嫌気が差して、界隈から去っていく人も増えているように見える。自分の界隈への気持ちが薄れ続けていることも間違いない。

昨日、フリーのモデルが、馴染みのカメラマンから盗撮されたと訴える投稿をXで見かけた。いろいろな意味で、またかと思った。
正直、このようなトラブルは今後もなくならないだろう。

盗撮をした側が悪いのは当たり前のことだし、被害を公にするかどうかは、本人が決めることだ。
ただ、その種の投稿を見るたびに、真面目に撮影している男性まで疑われるだけでなく、ポトレ界隈全体が世間から疑いの目で見られる空気が、また強まるだろう。

モデルたち自身も、結局はその界隈の住人として、同じような目で見られることになる。発信することで生じる、そうした影響にまで思いを巡らせることはないのだろうか。
個人間で起きたことのはずなのに、結局は界隈全体への不信だけが積み上がっていく。自分は、そこまで配慮の及ばない人が多いことにも疲れている。

全員がそうだとは言わないが、一部のフリーランスモデルを見ていると、いったい何を売り、何に対価を求めているのだろうと思うことがある。
決して安くない料金を当然のように提示するのなら、その対価に見合う時間や表現を返そうという意識も必要なはずだ。
ところが、要求の多さに比べてその意識が見えない人も少なくない。

撮影会もフリーランスモデルも自分が知る限り、モデルの拘束時間毎に料金が発生する。
撮影会は難しいだろうが、フリーランスのモデルたちはそのような契約を少しでも見直す思考はないのだろうか。

自分がポトレを撮り始めたころは、こちらから撮影を依頼しても無視されることが珍しくなかった。
もちろん、当時の自分が無視された理由は少し理解できる。撮影技術が貧弱だったからだ。年頃の女性たちが、低い技術で撮影された写真をSNSで公開されたくないという気持ちはわかる。
だが、そうしたリスクも含めて、彼女たちは決して安くない対価を受け取っているはずでもある。

ポトレ界隈から芸能事務所に所属するモデルも少なくない。そのたびに、過去にSNSへ投稿された写真の削除依頼が出される。そんな光景を見ることにも飽きてしまった。
だが、さらに呆れたのは、事務所を退所したあとに再び撮影会へ出戻ったモデルがいたことだ。そして、そのモデルを以前と変わらず撮り続けるカメラマンがいることにも呆れた。
写真の削除依頼を受けたときには、愚痴めいたことをSNSへ書いていたのに、どうして出戻ってきた彼女を再び撮影するのだろう。

懲りない界隈の人たちに呆れることにも、そろそろ飽きつつある。
ポトレを撮ることには、まだ飽きていないけれど。

今日の写真のモデルはみりんさん。

日々の鮮度

このblogを始めたころは、毎日のように更新していた。
そのことを友人とグラスを傾けながら話していたとき、自分を暇人扱いするようなニュアンスのことを言われてしまった。

自分が今でも覚えているということは、それだけ引っかかったのだろう。今さら本人に尋ねても、覚えていないと言われるのが関の山だ。
そんなことも、自分が酒席に参加する機会を減らしている理由の一つである。

今月になってから、blogの更新頻度が落ちている。
明確な目標を決めているわけではないが、週に二回、月に八回くらいは更新したいとなんとなく思っている。だが、今月は18日の今日現在、この記事を含めても三回目だ。

理由はシンプルで、気持ちの問題だ。
文芸同人誌に参加して小説を書いていたころもそうだったが、自分は気分が落ち込みすぎると、まったく文章を書けなくなってしまう。特に先週の前半はひどかった。

そのときに比べれば、気持ちは少しずつ回復しつつある。
きっかけは、先週末に名古屋の自宅へ一時帰宅したことだ。二拠点生活をしていてよかった。

不思議なものだ。いつもと違う景色を見たり、普段は会えない人に会ったりするだけで、気持ちがリフレッシュされることがある。それは自分だけではないだろう。

一時帰宅中のワンショット。

今年は講師としての登壇が始まってからも、気持ちは比較的落ち着いていた。マンションでの機能的な暮らしに慣れるにつれて、自宅に戻りたいとさえ思わなくなっていった。
例年よりも広く、少しリッチな部屋を借りていることも影響していたのかもしれない。

だが、武蔵野での暮らしに慣れると、日々の鮮度が少しずつ失われていった。知らないうちにストレスをため込んでいたような気がする。
それが、あることをきっかけに表面化し、自分が疲弊していたことを強く自覚させられたのだろう。

少しだけ気持ちが上向きつつあるとはいえ、未現像のポトレのデータはまだまだ山積みだ。FXにおいても、EAの改修どころか、スキャルピングに取り組む時間すらままならない。

もちろん、夏が苦手なことも影響しているのだろう。
休んでいても、集中力や体力が思うように回復しない。それを加齢のせいだと言われれば、素直に受け入れるしかないのだろうけれど。

誰かが今すぐに欲しいものをくれるというのであれば、お金と健康と時間と体力が欲しい。
それらを自由にできるのであれば、自分の欲望を浪費することができるのに。
だが、実際にそんなことはあるはずもない。

今日の写真のモデルは寺尾 彗さん。