淡白マスヲのたんぱく宣言 

40歳過ぎのオッサンの雑記。夜遊び、芸能ネタ、日常的なことから社会的なことまでを、広く浅く、そして薄い視点で毎日書くので気楽に読んでください。

サバ缶とトマトのパスタ

 在宅勤務になってからの食事はほとんど自炊ばかり。
 食べるだけでなく、料理を作ることが好きな自分でも新鮮さがなくなってきたし、飽きてきた。
 毎日の三食を作ることが、このごろは面倒に感じることも多い。
 自分が作ることができるレシピには限りがあるので、食べる前から味の想像がついてしまっていることが、食事の楽しみを奪っている。

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夕食前の散歩にて。
 今日の昼食には新しいメニューを試してみた。試みたのは、サバ缶とトマトのパスタ。作り方はいたって簡単。
 パスタを茹でている間に、熱したフライパンにオリーブオイルを引いて、おろした生姜とニンニクを入れる。
 オイルに馴染んだらサバ缶と乱切りにしたトマトを投入。
 白ワインを入れてから、火を少し弱くしながらパスタが茹で上がるのを待つ。
 茹で上がったパスタをフライパンに移して、パスタのゆで汁を加えながらソースに絡ませる。
 オリーブオイルを好みで回しかけてから火を止めて、きざんだ大葉を散らせば出来上がり。

 15分ほどで出来てしまう簡単な料理だが、食べてみたら驚いた。
 手早く作ったとは思えないような味。考えていた以上に奥行きがあった。
 トマトの酸味が鯖の臭みを消して旨味だけを引き出している。大葉とオリーブオイルが絶妙な風味を加えていた。
 午後から仕事をしなくてもよかったら、白ワインを飲んでしまったかもしれない。
 夕食も同じものを作ろうと思ったほどだ。
 何事にも猿のようにハマりやすく、飽きるのも鳩のように早いマスヲ。

 サバ缶を食べるようになってから、どれくらいが経つのだろう?
 少なくとも子供のころ、母や祖母がサバ缶を買ってくるようなことが、我が家にはなかった。
 10年は過ぎていないと思うが、その間にサバ缶の値段はかなり上がったような気がする。
 サバ缶を手に取るようになったころは、1缶を100円で買うことも難しくなかったが、今では200円前後する。
 こんなところにも水産資源の枯渇の影響が出ているのだろうか。
 サバ缶が庶民には手が届かなくなる日が来るのかもしれない。考えるとちょっと寂しい未来だが。

 気がつくと、六月がすぐ手に届くところまで来ている。
 今年も半分近くが過ぎようとしているが、印象に残っているような美味しい食べ物には、年が明けてからはまだ出会っていなかった。
 このままいくと、サバ缶とトマトのパスタが今年の七味に入る可能性が高い。
 いい意味で大晦日に選ぶ七味に、サバ缶とトマトのパスタが入いらないとよいのだが果たして?
 最低でも自分が年末まで生き残ってなければ、七味を選ぶことさえできないが。

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今日の写真のモデルはまやさん。

村上RADIOを聞きながら

 最近は2階にあるフローリングの部屋の窓側にパソコンを置いて、仕事をしている。
 今日の昼間は、仕事をしているのにはもったいないくらい。
 ガラス越しに外を見ると、ベランダで雀が遊んでいた。
 窓を開けると、風が木の葉をゆらす音が聞こえてきた。気持ちのよい五月の一日。

 外に出かけたくなるような日だったが、なんとか誘惑に耐えて仕事をした。
 そればかりか残業までしたのだが、あまり捗らなかった。どうしても仕事に気持ちが乗らなかったから。
 パソコンの前に座っていても、いつの間にか他事を考えていたり、ぼんやりとしていたのは五月の風のせいかもしれない。
 五月という季節は時に人を励まし、時には人をやるせない気持ちにさせる。

 今日一日、ほとんど家の外に出なかった。
 ほとんどと書いたのは宅配便が届いた時のみ、玄関の扉を開けたから。
 仕事を終えると入浴と食事を済ませた後に今、この文章を書き始めた。スマホでラジオ番組を聴きながら。
 聞いているのは、村上RADIO。村上春樹ファンながら、この番組を聞くのは初めてだった。
www.tfm.co.jp
 特徴のある声、彼が選んだ楽曲を聴いているとどうしてもビールが呑みたくなってしまった。我慢できずに缶ビールのプルトップを開けてしまった。
 村上主義者の間では、彼の小説を読んでいるとビールが呑みたくなると言われている。彼のラジオ番組にも同じような要素はあるのだろうか。

 実は、今日の日中にも彼の番組を聴いていた。午後に仕事をしながら。
 自分が作って冷やして置いたアイスコーヒーを呑みながら。
 仕事のせいで軟禁されてはいたが、甘さの中の苦みがほんの少しだけ自分をゆったりとさせた。

 新型コロナウィルスのおかげで、心はかなり揺さぶられた。独りでいることが多くなったので、必然的に考える時間も増えた。
 自分のことだけでなく、まわりの人々、仕事や社会のことについて、答えが出ないような問答を一人でずっと続けていた気がする。

 良くも悪くも在宅勤務もいつかは終わる。
 自宅の部屋の窓側に置いたパソコンの前に座ってヘッドセットをしながらオンライン会議をした日々のことを、懐かしく思う日は来るのだろうか。

 缶ビールを飲み干したので筆を置いて、スマホのスピーカーに耳を澄ませたい。
 もう1缶、プルトップを開けたりして?

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今日の写真のモデルは宮本はなさん。

バーチャル

 五月もあと数日。
 今夜は五月の雨が降っているが、初夏の夜にしては空気がヒンヤリとしている。
 暖冬が終わって、四月からの平均気温は例年に比べると低いらしいが、自分は肌でも感じていた。

 今年は庭に植えてあるアスパラガスの収穫が少なかった。
 このblogを読んでいると、友人は空豆を食べたくなったらしい。
hatehatehahaha.hatenablog.com
 この記事を読んだあとの数日後の週末にスーパーへ探しに行ったら、時期が終わっていたと連絡されてきた。
 自分は空豆よりもスナップエンドウの方が好きだが、今年は味わう機会が少なかった。スナップエンドウから作る豆ご飯を作るタイミングも逃してしまった。
 鞘から手で豆を取りだして研いだ米の上に載せ、青臭さを抜くために少しのお酒と塩を加えて炊飯器にセットするだけのレシピメニューを。

 昨日で国内の全ての地域で、緊急事態宣言は解除された。
 振り返ってみると、緊急事態宣言が出されたことすら、本当のことだったのかと思うときが、ままある。
 幸いにも欧米に比べると新型コロナウィルスの被害が少なかったことが、逆に実感を奪っているのかもしれない。
 数ヶ月前のある日から時々、バーチャルな日々を生きている気がする。

 自分のまわりで在宅勤務をしていた友人たちは、少しずつオフィスでの勤務に戻りつつある。
 今日、聞いたところによると、自分の在宅勤務は最短でも六月第一週までは続くようだ。来月末まで在宅が続く可能性も、少なくないとも聞いた。

 お客と一緒に働いているオフィスは人の密度が高いので、なんらかの対応作が打たれる可能性が高いのだが、まだその対策案自体が決まっていないらしい。
 具体的には、執務している席の配置などを変えることなどが考えているようなのだが、小手先である感は拭えない。

 では、このまま在宅勤務を続けたいかと聞かれたら、答えは微妙だ。
 通勤に時間がかからないこと、昼食代が節約できること、嫌いな人間の顔を見なくてもいいこと、帰宅時に寄り道しないので小遣いを使わないなどのメリットはたくさんあるのだが。

 働いている実感がイマイチ、欠けるのだ。怠け者である自分が言っても、説得力に欠けるのかもしれないが。

 昨日、今まで面識がなかった人間と突然、オンラインで打ち合わせをすることになった。
 今の現場でのルールでは、ZOOMで打ち合わせをするときにはカメラをオフにしてもいいことになっている。カメラをオンにしていると、家の中が映ってしまうことが問題になったのかもしれない。
 名前も顔も知らない人間と、パソコンの画面を共有しながら声だけで仕事の調整をしたのだが、なんだかしっくりとこなかった。
 また、三月と四月の月末に離任者たちから挨拶メールを受け取った時も、奇妙な気持ちを抱いたことを覚えている。

 オッサンになった自分はすっかり感覚が鈍くなっているのかもしれない。
 時代の変化に合わせていく柔軟性が必要だと、わかってはいるものの。

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今日の写真のモデルはMumeiさん。

自己肯定感

 歳を取るにつれて、まわりの友人や知人たちも当然のように歳を重ねている。当たり前だが自分のまわりにはオッサンが増えてきた。

 10代や20代のころに嫌なオッサンを散々見ていたのだが、自分もオッサンと言われて言い逃れできない歳になってしまった。
 若いころの自分から見て、好意的に見えたオッサンもいたが、ほんの少数だった。
 若い人から見たら今の自分は、大多数の嫌われがちなオッサンになっているのだろうか。

 このごろ、身近な人間とプライベートで話していて気になることがある。それは自己肯定感。
 私的な時間に人と話をする場は飲み会が多い。お酒を呑んでいると酔いのせいで口が軽くなるのだろうか。不用意な発言が多くなっているのかもしれないが。
 酔った時の言葉を無かったことにしたい人は結構いるのかもしれないが、それはあくまで酔っ払いの言い訳。世の中でお酒を嗜まない人は、決して少なくないはずだ。

 この歳になってお酒を呑んでいると、多くなるのは愚痴や自慢話。愚痴を言ってから、自慢話を連続コンボで繰り出す友人もいるが、昔からの関係であることもあって諦めて聞いている。聞いているフリをしている。
 せめて逆ならば多少は同情もできるのだが、最後に自分を見下すような視点で話をされると、面白くはない。

 彼らにはある共通点があることに気がついた。もっと言うと、世間で嫌われがちなオッサンは同じものを持ちあわせているのではないかとも。
 その共通点とは、自己肯定感。
 好意的に捉える人が多い単語かもしれないが、自分は違う。好きか嫌いかを二択で問われたら、間違いなく後者。

 知己であるほとんどの人は、自分から手の届かないような道を歩いている訳ではない気がする。
 世間の誰からも尊敬されていたり、羨ましがられている人ではないだろう。
 せいぜい有名な学校を出ているとか、一流企業で働いているとか、自分でビジネスを始めて少し上手くいっているくらいだろう。
 ちっちゃい場合だと、職場で少しばかりの出世が彼らの自己肯定感の根拠になっているような気がする。

 他人に比べると自己肯定感は低い方だと思っているが、まわりの評価はどうなのだろう?
 それでも、かろうじて最低限度の自尊心だけは持ちあわせているだろうし、それでなんとか今までやってきた。

 自分自身を雑に扱ってはいけないが、必要以上の自己肯定感は本人のためにならないのではないか。
 人の話に耳を傾けることができるような柔軟性はなくなるし、思考も硬直化する。
 新しいことへ挑戦することもなくなり、昨日と同じような明日をただ生きるだけになってしまう。
 多少の航路を知っているからとして、新しい航路の発見を全て若者に任せなくてもと、自分は考えている。

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今日の写真のモデルは初登場、ゆっきーさん

シャッター音

 カメラを三台保有している。OLYMPUS製を二台、Nikon製を一台。
 価格や年式はバラバラで一番新しいカメラは『OLYMPUS OM-D E-M5 Mark III』。昨年末に販売されたモデルだ。
 予約して買ったのだが購入価格は15万円近く。発売から半年経った今では、12万円ちょっとで買うことができる。
 逆に一番古いカメラは『Nikon D610』。2013年に発売された商品だが。自分は昨年の夏に5万円ちょっとで中古を手に入れた。
 自分が持っているカメラでは唯一のフルサイズセンサーだが、最近は出番が減っていた。
 カメラに合うレンズが一本しか持っていないことと、昨年末に買った新しいカメラがメイン機になったからだ。

 昨日と今日の二日間の休みは、久しぶりにポートレートを撮影した。その前に撮影したのは三月の三連休だったので、ほぼ2か月ぶりに人を被写体とした写真を撮ったことになる。
 ポートレートの撮影に挑戦をはじめてから、今月でほぼ二年。
 それまでもいくつかの事情のために、ポートレートの撮影に日が空いたことはあったが、60日以上は初めてだった。

 この二日間で三人のモデルに撮影させてもらったが、大きな気づきがあった。その気づきとは、カメラのシャッター音。
 最近、メイン機として使っているカメラ、『OLYMPUS OM-D E-M5 Mark III』はノーマルでもシャッター音は充分に静か。
 カメラにほとんど興味がない人が聞いたらびっくりするかもしれないが、さらに静音モードなるものまで備わっている。
 今のところは必要に迫られていないこともあって、自分はまだ使ったことはないが。

 それに比べて、『Nikon D610』はシャッターを切ると、わかりやすい音を立てる。
 ポートレートを撮る時には、テンポよくシャッターを切っていけば、シャッター音によってモデルのテンションを上げることができると、プロカメラマンが教えてくれたことを思い出した。

 そういえば、別のプロカメラマンもYouTubeの中で問いかけていた。今以上にシャッター音を静かにする必要がありますか、と。

 持っているカメラの中で一番古いカメラが、シャッターの音を聞いているだけで、知らないうちに自分の気持ちが高揚してくることに気がついた。
 Nikonのカメラはシャッター音がよいと言われることがあるようだが、最新のモデルは自分が保有しているカメラよりもかなり音が静かなようだ。
 シャッター音を大きくできる機能を追加してくれるメーカーは、あらわれないのだろうか。
 案外、そんな逆の発想からヒット商品が産まれるような気はするが、どうなのだろう?

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今日の写真のモデルは初登場、濱本咲良さん