旅人にはそれぞれに、旅を続ける理由がある。
これは旅好きの自分が、あるときに気がついた言葉だ。
この記事は下世話な内容なので、読者を選ぶかもしれない。その点はあしからず。
昨夜、先日のblogで明言した通り、キャバレー花園のグランドスラムを達成した。
昨夜の立会人は、フリーター時代からの友人一人。
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全店制覇がかかっていた最後の店は柴田店。
名鉄常滑線の柴田駅が最寄り駅だ。
桑名店とこの店だけは最寄りに地下鉄の駅がない。もっとも、桑名店は名古屋市内どころか愛知県内ですらないので、ほかの店舗と比較するのもおかしいのかもしれない。
柴田駅を利用したのは今回が初めてだった。
普通電車しか停まらないこともあるだろうし、これまで仕事でもプライベートでも訪れる理由がなかった。
昔、自分が『花園グランドスラム』なんていう旅の目的を思いついていなければ、一生縁のないままの駅だったかもしれない。
駅前にはロータリーもなく、週末の夕方なのに人影も少ない。
客待ちをしているタクシーも停まっていなかった。
駅舎自体は古びてはいないが、駅前は名古屋市内とは思えないほど寂しかった。コンビニすら見当たらなかった。
高架駅なので、改札を抜けて駅舎を出ると、目の前にはチェーン店のヘルスの看板が見えた。
花園まで歩く途中にもいくつかの風俗店を見かけたが、客の気配はほとんど感じなかった。
自分の友人にも夜遊び好きは少なくないはずだが、柴田駅近辺で遊んだという話を聞いた記憶もない。
閑散とした裏通りを歩いて目的地を目指すと、かつて営業していたと思われる店がいくつか目についた。
かろうじて営業している焼鳥屋などもあった。
あとで社交さんから聞いた話では、橋を渡ればすぐ東海市という立地らしい。
大通りに面していることもあって、バス停も近くにあるようだ。社交さんの中にはバスで通勤している人もいるという。
実際、自分たちが店の扉を開けたのとほぼ同じタイミングで、一人の女性も店に入っていった。
その彼女は、あとで自分たちの接客もしてくれた。
片側に複数車線がある大通り沿いなので、他人の目を気にする人なら店の扉を開けるのを躊躇するかもしれない。
柴田店の数軒隣には、チェーン店のかつやがあった。
自分たちが店に着いたのは、18時を少し過ぎたころだったと思う。
店内の隅に社交さんたちが固まって座っていたので、黒服に営業しているのかと尋ねると、一番奥のボックス席へ促された。
友人の隣には花園らしくない若い社交さんが座り、自分の隣には花園らしい自分よりも年配に見えたベテランの社交さんが座った。
社交さんたちは、すぐにお決まりの質問を投げかけてきた。
この店は初めてか、と。
初めてであることと、自分にとってこの店が全店制覇の最後の一店であることを友人が答えた。
すると社交さんが、前日にも全店制覇を目指しているという客が同じ席に座っていたと教えてくれた。
旅の途中にいる男と、旅を終えようとしている男。
そんな二人が一日違いで同じ席に座り、それぞれにグラスを傾けていたなんて香ばしい。
その話をしていると、自分たちのすぐ横でミーティングが始まった。
毎朝ではなく、毎夕行われているらしい。
向かいに座っていた友人はサラリーマンの管理職なので、その内容に興味を持ったようだった。
自分は白けていた。
やるのなら、自分たちの目に入らない場所でやってほしかった。
もっとも、それは贅沢なのかもしれない。
1セット40分。一番高い時間帯に指名しても4500円の 場末のキャバレーだ。
高級ラウンジでも、気取ったキャバクラでもない。
ふと、自分の目の前にある真っ赤な壁に掲示された貼り紙が目に入った。そこには、「祝50周年」と書かれていた。
自分の一つの旅の終わりが、そんなアニバーサリーに当たるなんて、ちょっぴり感慨深かった。
前日に同じ席へ座った旅人は、いつ旅の終わりを迎えるのだろう。
もちろん、途中で目的に意味を見いだせなくなり、旅そのものを放り出すことだってあるだろう。
9年越し。長い時間をかけて達成した、キャバレー花園の全店制覇。
昨夕、店へ向かう途中は、正直なところ少し気が重かった。
コロナ禍以降は花園へ遊びに行っていなかったし、キャバクラやガールズバーもここ数年はご無沙汰だったからだ。
キャバクラやガールズバーのキャストたちとはまた違う、かなり個性的な社交さんたちとの会話を苦痛に感じないだろうか。
そんなことを心配していたが、杞憂に終わった。
彼女たちを異性として意識することはなかったが、接客に対する真剣さは伝わってきたからだ。
少なくとも、今の現場でSESとしてシステム運用に携わっている自分なんかより、彼女たちのほうがずっと真面目に仕事へ向き合っていた。
会計は二人で5000円。
支払いを済ませると、接客してくれた社交さんたちが出口まで見送ってくれた。
自分の一つの旅の終わりまで、見届けてくれたような気がした。
10年近く続いた一つの旅が終わったが、何かが大きく変わったわけではない。
人生という辛くて、馬鹿馬鹿しくて、ときどき楽しい旅は続くのだから。




