淡白マスヲのたんぱく宣言 

アラフィフのオッサンの雑記。広く浅く、そして薄い視点で気楽に書いてマース。

さらに遠くなった

仕事の環境についても文章に残しておきたいことがあるのだけれど、まずは作家の訃報から。
村上龍が亡くなった。昭和がさらに遠くなった。

自分の中で、村上龍は昭和の作家に分類される。
著作やテレビ出演などの活動は令和になってからも続いていたが、彼が文壇にデビューしたのは自分が生まれた数年後だった。

正直、そこまで彼の作品や文章が好きだったわけではない。
それでもいくつかの作品は手に取ったし、特に印象に残っているのはエッセイの『すべての男は消耗品である』だ。
このエッセイを読んだころ、自分は20代だった。
当時はそれなりに共感して読んでいたはずなのだが、今になって思い返すと少し恥ずかしい。

あのころの自分には、消耗するほどの何かを、まだ何も持っていなかったのではないかと思えるからだ。
何もかもをただ欲しがっていただけで、誰に対しても何もできていなかった。
それなのに、自分は世の中から搾取されていると思っていた。
そんなころの自分が、痛々しくもあり、懐かしくもある。

この先の自分は、時代の流れをいつまで見届けることができるのだろう。
そして、いつまで見届けなければならないのだろう。

次に仕事の近況について。

手伝っているプロジェクトは、さらに炎上中だ。
来週末に予定されていた、ある自治体の新システムへの移行は、お客側の判断で延伸となった。
理由は、自分が手伝っている会社の対応を信用できないと自治体側が判断したかららしい。
内側からプロジェクトを見ていても、あのレベルでは仕方がないだろう。

皮肉なことに、自治体が不信感を抱いた結果、本来は土曜日なのに出勤予定だった今日は、カレンダー通りに休みになった。
だが、来週と再来週の土曜日は、いまだに出勤予定のままだ。

今のプロジェクトそのものに、すっかり嫌気が差している。
三日前にはエージェントの社員たちにオンラインで、昨日は上位会社の営業担当者に対面で、今の現場でこれ以上働くことは難しいと告げた。

エージェントの彼らは、自分の気持ちに少しは寄り添ってくれたように思ったが、本当のところはわからない。
上位会社も含めた話し合いを提案されたので自分が断ったのに、その後には上位会社の営業から直接ヒアリングしたいと求められたからだ。
このヒアリング自体、コンプライアンス的にはかなり怪しい気がする。自分は上位会社と契約を取り交わしているのではなく、エージェントの会社と契約しているからだ。

契約関係だけでなく、自分の性格上も、上位会社や現場の会社のプロパーたちと普通に話をするのは、もはや難しい。
一度でも信頼できないと思うと、そこから元に戻せない性分だからだ。ここまで来ると、もはや論理だけで気持ちを戻すことはできない。

それでも上位会社の営業担当者は、自分との直接対話を求めてきた。
仕事先のメールアドレスにまでメールを送ってきたことには呆れたが、こちらが折れた。
返信のメールには、今の自分では冷静に対応できないこと、それでも対面したいのであれば、とも書き加えた。

そこまで前置きして対話したが、最後まで話がかみ合わなかったのは、ある意味では予想通りだった。
歳を重ねるごとに、公私を問わず、気が合わない人と無理に会話を続けることには意味がないという確信が、自分の中で強くなっている。

気まずいまま時間だけが過ぎ、結局、お互いをすり減らしただけだった。
「代わりを見つけるまでは」
営業担当者は、そんなことを口にした。
代わりが必要になるほどに今の現場で仕事ができていない、自分はと伝えた。エンジニアとして口にするには屈辱的な言葉でもあった。それだけに、そんな正直な言葉まで受け流されたことが切なかった。

これまでにも何度も書いてきたことだが、SESという働き方は、自分には向いていない。
20代のころには、消耗するほどのものなんて自分には何もなかった。
だが、今の自分には少しくらい、すり減らしたくないものがあるように思う。
だから、自分くらいは自分自身を大事にしたい。
自分以外に、自分自身を労わってくれる人がいるわけではないのだから。

韻を踏む

一昨夜、久しぶりに仕事のことを夢で見てうなされた。
夢の中で自分を追い詰めた人物は意外だった。
目が覚めてから考えると、意外でありながらも妙に納得できた。
それでも、もちろん目覚めがよかったわけではない。
土曜日の朝で、休日出勤することになっていたからだ。

先月末に着任した今の現場の作業内容は、システムの運用と保守。
振り返ってみると、これまで保守や運用の仕事には何度か携わってきた。
サラリーマン時代にSESとして二回。社内SEとしても二回。医療法人で働いていた時期もその一つだ。
だが、そのいずれも長くは続かなかった。
医療法人での仕事を除けば、いずれも数か月で終わり、SESとして携わった二回は、どちらも自分から投げ出した。
医療法人でのシステム運用保守は、自分一人で作成したシステムが含まれていたこともあり、一年以上は続いた。

もっとも、その職場にはコンプライアンス上の問題があり、退職後に法人と法廷の場で争ったことは、これまでこのblogにも何度か書いてきた通りだ。 

今朝、エージェントに対して、今の現場を即時に離任したいことを文章で伝えた。

今朝、LINEで連絡した文面の一部です

仕事を投げ出すことになるので、後味はよくないが、仕方がない。
サラリーマンと違って、組織が自分を守ってくれるわけではないからだ。

フリーランスになっても、自分のSEとしての向き不向きは変わっていないことを痛感した。
「歴史は繰り返さないが、韻を踏む」という言葉そのものだ。

今朝、ベッドで惰眠を貪りながら、ふと思った。
仕事のことで悩むのと、恋のマジカルバナナで悩むのとでは、どちらが楽なのだろうか、と。
返信が遅い。嫌われたのかもしれない。嫌われたとしたら、あのときの言葉が悪かったのかもしれない。あの言葉といえば――。
そんなふうに、一つの不安から次の不安へと、連想を重ねていく状態を「恋のマジカルバナナ」と呼ぶらしい。

仕事の悩みは、お金や生活に直結するので厄介だ。
ただ、悩みの多くを他責で考えられるのは、ある意味ではメリット。
一方、恋のマジカルバナナに陥ってしまった場合は微妙だ。
恋の終わりの兆しを感じるまでは、相手ではなく、自分にだけ原因があるはずだと考え続けてしまうからだ。これは本当に辛くて、心が痛い。そして、痛かった。

実はこの夏、いつ以来なのか思い出せないくらい久しぶりに恋をした。
はじまりから、その恋がうまくいくはずのないものだとは分かっていた。わかっていたはずだった。
それでも恋をしてしまった自分を、改めて人間らしいと思った。
予想通り、その恋は実ることなく終わったけれど、マジカルバナナに陥っていた自分が、今となっては愛おしい。

またいつの日か、恋をすることはあるのだろうか。
そのときにもまた、これまでしてきた恋と同じように、自分は恋のマジカルバナナに陥ってしまうのだろうか。
日本で暮らしていると、バナナに季節を感じることはない。
恋のマジカルバナナにも、きっと季節はないのだろう。

50周年の年に

旅人にはそれぞれに、旅を続ける理由がある。
これは旅好きの自分が、あるときに気がついた言葉だ。

この記事は下世話な内容なので、読者を選ぶかもしれない。その点はあしからず。

昨夜、先日のblogで明言した通り、キャバレー花園のグランドスラムを達成した。
昨夜の立会人は、フリーター時代からの友人一人。
hatehatehahaha.hatenablog.com
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全店制覇がかかっていた最後の店は柴田店。
名鉄常滑線の柴田駅が最寄り駅だ。
桑名店とこの店だけは最寄りに地下鉄の駅がない。もっとも、桑名店は名古屋市内どころか愛知県内ですらないので、ほかの店舗と比較するのもおかしいのかもしれない。

柴田駅を利用したのは今回が初めてだった。
普通電車しか停まらないこともあるだろうし、これまで仕事でもプライベートでも訪れる理由がなかった。
昔、自分が『花園グランドスラム』なんていう旅の目的を思いついていなければ、一生縁のないままの駅だったかもしれない。

駅前にはロータリーもなく、週末の夕方なのに人影も少ない。
客待ちをしているタクシーも停まっていなかった。
駅舎自体は古びてはいないが、駅前は名古屋市内とは思えないほど寂しかった。コンビニすら見当たらなかった。
高架駅なので、改札を抜けて駅舎を出ると、目の前にはチェーン店のヘルスの看板が見えた。
花園まで歩く途中にもいくつかの風俗店を見かけたが、客の気配はほとんど感じなかった。
自分の友人にも夜遊び好きは少なくないはずだが、柴田駅近辺で遊んだという話を聞いた記憶もない。

閑散とした裏通りを歩いて目的地を目指すと、かつて営業していたと思われる店がいくつか目についた。
かろうじて営業している焼鳥屋などもあった。
あとで社交さんから聞いた話では、橋を渡ればすぐ東海市という立地らしい。
大通りに面していることもあって、バス停も近くにあるようだ。社交さんの中にはバスで通勤している人もいるという。
実際、自分たちが店の扉を開けたのとほぼ同じタイミングで、一人の女性も店に入っていった。
その彼女は、あとで自分たちの接客もしてくれた。
片側に複数車線がある大通り沿いなので、他人の目を気にする人なら店の扉を開けるのを躊躇するかもしれない。
柴田店の数軒隣には、チェーン店のかつやがあった。

自分たちが店に着いたのは、18時を少し過ぎたころだったと思う。
店内の隅に社交さんたちが固まって座っていたので、黒服に営業しているのかと尋ねると、一番奥のボックス席へ促された。
友人の隣には花園らしくない若い社交さんが座り、自分の隣には花園らしい自分よりも年配に見えたベテランの社交さんが座った。

社交さんたちは、すぐにお決まりの質問を投げかけてきた。
この店は初めてか、と。
初めてであることと、自分にとってこの店が全店制覇の最後の一店であることを友人が答えた。
すると社交さんが、前日にも全店制覇を目指しているという客が同じ席に座っていたと教えてくれた。
旅の途中にいる男と、旅を終えようとしている男。
そんな二人が一日違いで同じ席に座り、それぞれにグラスを傾けていたなんて香ばしい。

その話をしていると、自分たちのすぐ横でミーティングが始まった。
毎朝ではなく、毎夕行われているらしい。
向かいに座っていた友人はサラリーマンの管理職なので、その内容に興味を持ったようだった。
自分は白けていた。
やるのなら、自分たちの目に入らない場所でやってほしかった。
もっとも、それは贅沢なのかもしれない。
1セット40分。一番高い時間帯に指名しても4500円の 場末のキャバレーだ。
高級ラウンジでも、気取ったキャバクラでもない。

ふと、自分の目の前にある真っ赤な壁に掲示された貼り紙が目に入った。そこには、「祝50周年」と書かれていた。
自分の一つの旅の終わりが、そんなアニバーサリーに当たるなんて、ちょっぴり感慨深かった。

前日に同じ席へ座った旅人は、いつ旅の終わりを迎えるのだろう。
もちろん、途中で目的に意味を見いだせなくなり、旅そのものを放り出すことだってあるだろう。
9年越し。長い時間をかけて達成した、キャバレー花園の全店制覇。
昨夕、店へ向かう途中は、正直なところ少し気が重かった。
コロナ禍以降は花園へ遊びに行っていなかったし、キャバクラやガールズバーもここ数年はご無沙汰だったからだ。
キャバクラやガールズバーのキャストたちとはまた違う、かなり個性的な社交さんたちとの会話を苦痛に感じないだろうか。
そんなことを心配していたが、杞憂に終わった。
彼女たちを異性として意識することはなかったが、接客に対する真剣さは伝わってきたからだ。
少なくとも、今の現場でSESとしてシステム運用に携わっている自分なんかより、彼女たちのほうがずっと真面目に仕事へ向き合っていた。

会計は二人で5000円。
支払いを済ませると、接客してくれた社交さんたちが出口まで見送ってくれた。
自分の一つの旅の終わりまで、見届けてくれたような気がした。
10年近く続いた一つの旅が終わったが、何かが大きく変わったわけではない。
人生という辛くて、馬鹿馬鹿しくて、ときどき楽しい旅は続くのだから。

一対一

地元に戻ってきてからも、マシンピラティスを続けている。
こちらに戻ってきて最初のレッスンでは、担当のトレーナーが感じよく接してくれた。
自分の得意技である勘違いだったのかもしれないけれど、再会したことを喜んでくれているようにも見えた。
若い女性が微笑んでくれると、それだけで幸せな気持ちになる自分。
半年ぶりに戻ってきた自分が、その間もマシンピラティスを続けていたことや、姿勢など見た目にも少し変化があったことが、彼女のテンションを上げていたのだろうか。
自分がイケオジだったら、このタイミングで一気に距離が縮まったのかもしれない。
もっとも、彼女は既婚者なので、冴えないオッサンくらいでちょうどいいのだろう。

武蔵野でのレッスンも、地元でのレッスンも月に四回。
どちらも会員専用のサイトで空いている枠を見つけて予約するシステムだ。
だが、大きな違いがある。
武蔵野では最大11人が同時に参加するグループレッスンだったが、地元では完全なマンツーマンのレッスン。

こちらに戻ってきて最初だった前回のレッスンは、月曜日の気配が濃くなりはじめる日曜日の夕方からだった。
少しずつ気が重くなっていたのだが、ピラティスを始めてみると驚いた。
身体が整い始める感覚はこれまでと変わらなかったが、気持ちのリフレッシュ感がこれまでとは段違いだった。
身体と気持ちが軽くなった理由を帰り道に考えて気がついた。
マンツーマンレッスンだったからだ。
グループレッスンだと、一緒にレッスンを受けている他人の目がどうしても気になる。
運動神経が悪く、右足にもハンデがある自分がレッスンについていくことにはプレッシャーも感じるし、ときにはそれ自体がストレスにもなる。
だが、マンツーマンならレッスン内容すら、その日の自分の体調に合わせてトレーナーがカスタマイズしてくれる。
そのありがたみと効果を、改めてしみじみと感じた。

そんなこともあってか、実は今日のレッスンが楽しみだった。
ピラティスに対してそんな気持ちを抱いたのは、初めてではないだろうか。
土曜日の朝一番、9時からだったが、起きることが苦痛だとは少しも思わなかった。
実際、レッスン中も楽しかった。

終わったばかりの今も、すでに次のレッスンが楽しみになっている。
今日のレッスンの帰り道、ふと思った。
案外、自分は一対一の関係に向いているのではないか。
考えてみれば、男女を問わず、一対一でお茶を飲んだり食事をしたりした時間が、よい思い出として残っていることが多い。

物心がついたころには祖父母と同居していて、六人家族という騒がしく落ち着かない環境で育った。
そう考えると、一対一を好む今の自分が少し意外でもある。
逆にだからこそ、騒がしい環境で育ったからこそ、一対一の静かな関係を心地よく感じるようになったのかもしれない。

消火器は火が消えてから

今の現場には、月の稼働時間が270時間を超えている人がいる。
プロパー社員二人も、直近三か月の平均は250時間を超えているらしい。

250over。
久しぶりに聞いた数字だった。
いや、聞いたことがあったとしても、自分の身近で聞きたい数字ではない。

この現場には、誰が誰に指示を出すのかを整理した体制図がない。
誰がどれくらいの仕事を抱えているのかも、誰も把握していない。
タスクコントロールという言葉も、たぶん存在していない。

そのことをSES側のPMOに指摘した。
返ってきた答えは、「それは理想論。まずオンスケにしてから」

なるほど。
火事になっている家の中で、消火器を置くのは火が消えてからにしよう、と言われたような気がした。
その瞬間、この現場を良くしようと考えるのをやめた。

すでに一人、SESの作業員が心が折れて、現場に来られなくなっている。
その穴を埋めるために、再来週から自分は四週連続で土曜日に出勤することになった。
誰かが壊れ、その穴を埋めるために、壊した人ではなく、私が土曜日ごとに役所を回ることになった。

かわりに平日は残業しない、と交換条件を出した。
自分の今回の時給は4180円。守られるかは疑問だけれど。
フリーランスとしては格安である。
格安商品だからといって、使い放題ではない。

その来られなくなった人について、部長と課長代理が本番環境ルームで悪く言っていた。
「あなたの前で言うのも悪いけれど」そんな前置きまであった。
自分は愛想笑いをして聞いていた。
彼らを軽蔑したけれど、笑っていた自分も人としては最低だ。

自治体で使う受給者証や納付書などの専用帳票は、一枚700円で発注されると聞いた。
一枚700円。
いろいろなコストが含まれているのだろう。
大人なので、そのくらいの想像はできる。
それでも、一枚700円の紙を扱う会社で、人間の時間だけはずいぶん安く扱われているように見える。

ちなみに、今のPMOにも前任者がいたらしい。
なぜ替わったのかは知らない。
知らないままでいい気もしている。

自分がいなくなったあとも、次に来た誰かが同じことを考えるかもしれない。
前の人は、なぜいなくなったのだろう、と。

ある意味では、それが使い捨てのSESの宿命なのかもしれない。