淡白マスヲのたんぱく宣言 

アラフィフのオッサンの雑記。夜遊び、芸能ネタ、日常的なことから社会的なことまでを、広く浅く、そして薄い視点で書くので気楽に読んでください。

インプットとアウトプット

 先日、1年ぶりに小説を書き上げた。書いている最中から、気がついたことがある。文章を書く作業というのは自分をアウトプットすることにもなるのだが、それまでに自分の中でインプットされているものが滲み出ていると、思い知らされた。そう思わざるを得なかった。書き上がった作品を自分で再読したら、いい意味でも悪い意味でも。

 前作は15年ぶりに同人誌に復帰した後に書いたが、インプットが同人の作品よりも、それまで自分自身で手に取って読んだプロ作家の様々な文章が色濃く反映していたと思う。
 だが、今作は全く逆だ。出戻りした同人誌に所属しているメンバーの文章や考えが、かなり影響していると感じた。

 年に4冊発刊される同人誌は、1冊あたりだいたい180頁前後。自分に取って読みやすい作品もあれば、読みづらい作品だって少なくはない。プロの作品だってすらすら読めるものばかりではないのだから、当然だろう。
 しかも、例会と呼ばれる同人同士の集まりで、お互いに他人が書いた作品について意見を交換することもあって、よりその文章や作者の考えに影響を受けてしまう。

 プロ作家の文章を読む時間がないことを、仕事だけを言い訳にするわけではない。
 冬だったら休みがあればゲレンデに雪遊びに出かけてしまうし、暖かくなって雪が溶けたら釣りにだって出かける。誘われても誘われなくても酒場でフラフラしている時間を割けばもっと読書の時間は作れるはずだが、はっきりいって他の快楽に流されてしまっている、自分がいるからだ。
 言い訳がましいことを更に重ねるならば、それらのことも実体験を得ることができるので、違う意味でのインプットにはなっているだろう。

 そんな中でも、最近ある本を薦められた。薦めてきたのは実弟。我が家唯一の学士様。某早稲田大学で歴史を専攻した毒男だ。
レ・ミゼラブル』の映画を観て感動したことを話したら、原作を読んだことを自分がないことを鼻で笑ってくれたかわいくない弟だ。古今東西文学史上に残る作品は、ほとんど読破しているのではないだろうか。
 ドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』を読んだことがあるかを聞いたら当然のように答えられた、イエスと。
 恥ずかしながら自分は、教科書に載っていた以外のロシア文学を一作たりとも読んだことがない。

 そんな鼻につくインテリの弟が、薦めてきた本は意外だった。しかも、ケチでもある弟がその本を直接貸してくれたのだ。その本とは、『人生は、運よりも実力よりも「勘違いさせる力」で決まっている』。このはてなblogのbloggerふろむだ氏が執筆した本だ。
www.furomuda.com
 上の記事が本の書き出しとほぼ重なっている。活字数が少ないこともあって、通勤時とお昼休みの時間を中心に読み進めたが、3日間ほどで読み切ってしまったが、またすぐに再読している。
 この本の大筋ではないことに、いくつかの引っかかりを覚えてからだ。この本で多くの割合が割かれているハロー効果以外についてだ。
 この本については、改めて記事を書くことになる気がする。