淡白マスヲのたんぱく宣言 

アラフィフのオッサンの雑記。夜遊び、芸能ネタ、日常的なことから社会的なことまでを、広く浅く、そして薄い視点で書くので気楽に読んでください。

クリエイティブな人とクリエイティブではない人がいるだけ

 二十歳のころ、ファーストフード店でアルバイトをしていた自分。今、アラフィフィのオッサンだから、だいたい四半世紀前のことだ。
 何人かの社員、マネージャーや店の責任者である店長の元で働いたが、何故かそれぞれが個性的で今の自分の人格形成に関与していると思う。

 26歳までに読んだ本でその人の個性が決まるといったようなニュアンスを、昔からの友人はよく口にしていたが、自分なりにその言葉を掘り下げてみると、20代までに交わった人たちが個人のキャラクター形成に大きく寄与すると、このごろは考えている。

 ファーストフード店で働いていた時に一番影響を受けた社員と会ったころ、自分は彼が苦手だった。できれば一緒に働きたくないと思っていたほどに。
 だが、夕方から深夜までのシフトに入ることが互いに多かったこともあって、同じ時間を多く過ごさなければならなかった。
 不思議なことだが、自分は彼に怒られることは多かったが、彼は自分のことが嫌いではないことに、だんだんと気づきだした。そればかりか、何故か自分のことを特別扱いしてくれていることにも。

 そんなある日の閉店後のこと、彼がある商品促販のためのディスプレイをしていた。作業が完了すると、嬉しそうに真っ先に自分に話しかけてきたのだ。クリエイティブな仕事だろう? と。
 様々な物事に対して自分なりの物差しを作ることができずに苦しんでいた自分に対して、彼は明らかに自分を同じ側の人間として扱ってくれたことがはっきりとわかった瞬間だった。
 彼に比べればまだ何も知らない、何もできない人間だった自分を、クリエイティブな人間だと見てくれていたのだ。

 それから10年近くの月日が流れた。趣味のひとつとして、文芸同人誌で小説を著すようになった。文藝春秋社の文芸雑誌である『文學界』の同人雑誌評において、名前と作品が二度も取り上げられたことは良い思い出になっている。
 また、10数年ぶりに小説を書きたくなって同人誌に復帰してからの二作目の作品が、文學界の同人雑誌評を引き継いだ、文芸雑誌である『三田文学』の新同人雑誌評で自分の名前と作品が取り上げられていることを、噂で聞いたばかりだ。

 自分で言うのもなんだが、彼の自分に対する見立ては間違っていなかったようだ。
 カメラを手に取るようになってからは、その感覚がさらに増していく。ただ、文章を書くことに比べれば表現できるレベルが拙いことを思い知らされることばかりだが。

 最近、よく思う。世の中にはクリエイティブな人とクリエイティブではない人が居るだけだと。
 ただ、そのクリエイティブとは文章や絵をかいたり、音楽や写真などで自己表現することだけではない。
 面白いもので、言動や立ち振る舞いなどに自己の思考などが、本人の自覚は別として現れてしまう。
 ただただ、その日を過ごしているだけでも、クリエイティブだと思わせてくれる人は、自分のまわりにはたくさん居る。そう思わせてくれる彼らは皆、自身に正直に生きていると、自分は感じている。

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今日の写真は、モデルの美波なつさん。彼女はデザイナーとしても仕事をしているし、撮影当時にポートレートに対して何かと迷っていた自分に対して、真剣に向き合ってくれた素敵でクリエイティブな人です。