淡白マスヲのたんぱく宣言 

アラフィフのオッサンの雑記。夜遊び、芸能ネタ、日常的なことから社会的なことまでを、広く浅く、そして薄い視点で書くので気楽に読んでください。

棚経と墓参

 お盆入りした今日、朝一番で実家に向かった。檀家になっている寺の和尚が棚経を上げに来るからだ。
 棚経の時間は数十分。毎年、そのためだけに実家に通い続けている。
 自分は長男なので仕方がないが、弟は居ない年もちらほらあり、今年も母と2人だけで和尚を迎えた。

 実家で和尚の到着を待っていると、ほぼ時間通りにインターホンが鳴った。母が招き入れると、和尚は玄関をくぐって履物を脱いだ。薄暗い場所だったが、久しぶりに見た和尚は少し痩せたようにも見えた。
 今が年数回の繁忙期とはいえ、亡くなった父と年令が近い彼にとって、この暑さは応えるのかもしれない。

 盆提灯が灯っている仏間に和尚は入り、仏壇の前に座った。歳のわりには大柄な和尚の所作はいつもながらそれなりに美しく、さっきまで痩せたことを思わせた面影はすぐに消えた。
 読経が始まると、自然に手を合わせていた自分。そんなことは初めてだった気がする。そればかりか、いつの間にか父のことを考えていた。1人で感傷的な気分に浸りながら。横に居た母は何を思っていたのだろう?

 読経が終わって和尚が出て行くと、母と墓地に向かった。祖父、祖母と父が眠る墓地は実家から数百メートル、歩いても数分しかかからない距離だ。
 2人で家を出る瞬間、母は日傘が無いことを口にしだした。歩いてもすぐな距離だし、長い間墓地に居るつもりもないはずなのだが、70歳を過ぎても母にとっては必要なものらしい。やはり、女性はいくつになっても女性なのだろう。

 2人で墓地に着くと何組かが墓参をしていたし、水汲み場から墓地への途中、ある母娘とすれ違った。2人とも自分と母よりはそれぞれが年上に見えた。
 まわりに風を遮るようなものが無い墓地でも、今日はほとんど風を感じなかった。上からは夏の終わりの陽射しがしぶとく照り続いていた。
 実際の気温以上に体感温度は高かったはずだ。そんななか、母が墓標をキレイにし、2人で手を合わせた。

 風はほとんどないが、その間も時間は確実に過ぎている。時がどれくらいの早さで流れているかを感じるのは人それぞれ。自分に時間がどれくらい残されているのかを知っている人はほとんど居ないはずだ。
 極端な話、母よりも自分の方が先に死ぬ可能性だって、否定はできない。親不孝な息子ではあるが、最低限の親孝行として、母よりは長く生きていたいとは思ってはいるが。

 墓参が終わるとすぐに実家から自宅に向かった。自宅への道すがら、公園の木陰である男性が涼んでいた。外回りのサラリーマンだろうか。
 お盆でも働いている人は居る。来年のお盆、自分は何をしているのだろう?
 せめて、今年と同じように棚経と墓参くらいは母に付き合っていたいと考えているが、明日のことはもちろん、誰にもわからない。

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今日の写真のモデルは美波なつさん。