今日で10月も終わり。今の現場、豊田市までの通勤も今日で最後になる。自宅から名古屋都心へ向かうのではなく、郊外へ向かう電車に乗ることもしばらくないだろう。
実は平日の毎朝、かつて自分が通っていた高校の横をかすめて通勤している。自分の母校は愛知環状鉄道のある駅から歩いて、数分のところにある。
そのために、毎朝のように後輩と一緒の電車に同乗し続けている。
彼らは自分が先輩であることを知らないが、自分は彼らが後輩であることを知っている。ある意味においては不公平かもしれない。
何度か彼らに向かって、自分が先輩であることを話しかけたくなる衝動に駆られたが、自省してきた。白髪が交じったオッサンに、いきなりそんなことを話しかけられたら、彼らだってただ戸惑うだけだろう。
昨日の朝、後輩の中で目を引いた女性を見かけた。他の生徒よりも背が一回りは高くて顔が小さい。肌が白くてキレイだった。
見るからに日本人離れしていて、隣に一緒に居た女生徒と外国語で会話していた。留学生か何かだろうか。
だが、自分が通っていたのは県立の公立高校だったので、交換留学生のような制度はおそらく無いだろう。
人目を引いてしまうキレイな後輩を見ていると、いつの間にか高校を時代のことを思い出していた。高校三年生だったころの朝の通学時のことを。
高校に入学してから三年に進学してしばらくは、地元の中学から一緒に進学した友人たちと毎朝、一緒の電車に乗っていた。
自分が寝坊したある日のこと。その電車に乗り遅れた自分は、他の高校に通っている女生徒に一目惚れをしてしまったのだ。
彼女は色白で、髪が少し栗色かかっていた。そのことを幼なじみに話すと、彼は彼女の素性のことを調べたらしい。
彼は彼女がクオーターだと話したが、今となってはそのことの真偽はわからない。確実なことはどうしようもなく、自分が彼女に惹かれていたことだけ。
だが、彼女とは高校も違うし、何の接点もなかった。自分は毎朝、彼女と同じ電車の同じ車両に乗って彼女を眺めていただけだった。
それから10年ほど経ってから、彼女の思い出をモチーフに小説を書いたことがある。ほんの数ページの掌編だが、自分は割合と気に入っていた。
最近は読み返していないが、この文章を書いていたらふと読んでみたくなった。
彼女と自分との年の差はふたつ。自分はアラフィフだが、彼女も今年で自分と同じアラフィフになったはず。
もし、彼女とどこかで再会したら、自分は気がつくことができるだろうか。案外もう既に何回もすれ違っていて、自分が気づけないでいるだけの可能性だってゼロではない。
少し寂しいことかもしれないが、だからこそ思い出は美しいのかもしれない。