10月が終わった。社畜に戻って二か月が過ぎた。
その間、客先常駐のシステムエンジニアとしてだけでなく、週末に写真撮影の副業に従事して、自認せざるを得ないことがある。今年の三月まで働いていた時と、仕事に対するモチベーションが全く違うことを。完全に受け身なのだ。
副業先であればその経営者、システムエンジニアとして働いていた際には、自分が所属している会社やその上位会社だけでなく、発注元である会社のことやそれに関わる人間のことなんて微塵も考えていない自分が居る。
どちらの職場でも言われたことだけ、最低限度の作業をして決められた時間、その場所でやり過ごすことしか考えていない。作業内容でではなくて、その場所で自分が拘束されて、指示者の指示に従っているフリをすれば自分は対価を得ることができるからだ。
積極的な態度を見せて誰かに目を付けられたり、相手の要望を満たしている以上の作業をして、失敗して揚げ足を取られるよりはよっぽどマシだ。
若かったころは今よりはまだ時折、自分がした仕事で誰かに喜んでもらいたいというメルヘンチックなことを考えていた気がするが、そんな考えはどこに消えてしまったのだろう?
自分がサラリーマンに戻った理由は、自分の都合のため、自分のエゴのためだけだ。
新しい車に買い換えたこと、写真撮影に楽しみを見出したので、次々に新しいカメラやレンズが欲しくなっているからだ。
実際、今月末に発売される新しいカメラの予約もしている。そのカメラについては後日、このblogでもおそらく触れることになるだろう。 勤め人に戻って使用人根性丸出しで働いていることを自己否定するつもりは一切ない。
自分の周りで働いている人の感じ方も、以前働いていた時と全く違っている。
それが証拠に以前ならば、上記の文章表現に『自分の周りで働いている人の感じ方も』の部分を『自分と一緒に周りで働いている人の感じ方も』と書いただろう。
本業でも副業でも自分だけでなく、他人も自分のためだけに働いている感覚をどうしても拭いきれない。
以前の自分がただの甘チャンだった気がしているし、自分と自分が大切にしたい人を守ることが働いてお金を得るための本質だと思わざるを得ない。
そんな視点で見ていると、仕事をする上で接する人がせせら笑えてきてしまうことばかりだ。特に、仕事をする上で自分よりも上位に居る人は。
一例を挙げるならば、副業先の社長。先日、自分が灯油の移動販売の仕事を始めるために、撮影の仕事を控えたい旨を話すと、こちらの立場も理解して欲しいと言ってきた時だ。
そんな言葉を口にした相手こそ、自分の気持ちを慮ったことはあるのだろうか、と思わず考えてしまった。
そればかりか、そんなことを平気で口にしてしまう相手には、どうしても敬意を抱けない。仕事をする相手に対して、敬意を払う必要があるかは別の問題かもしれないが。