自分の中ではやっと秋らしくなってきたと感じているのだが、厳密に言えば立冬を越したので暦の上ではもう冬。
今年の秋は今までの自分になかった秋をいくつか経験できた。こう書くと真っ先に自分が写欲の秋とでもほざくと思っていた読者はいたかもしれないが、残念でした。自分にとって今年一番感じたのは、ミスコンの秋だ。
自分がそんなことを感じられるようになったかのか、今となっては謎だ。
写真を撮るようになってから、自分とSNSの距離は急速に縮まったことは関係しているだろう。InstagramとTwitterは特に。
直接会ったことがない人間との交錯が急に広まったのだ。その流れや力はとてつもなく早くて力強かった。
SNS上で新しく知り合った人間とはどんな経緯で知り合ったのかは、ほとんど説明できない。自分だけなのだろうか。
SNSではオフラインでは今までは交流を持てなかった人たちとも交われた。その接点は他人から見たら決して深くはないのかもしれない。もちろん、相手にとっても。
浅い交わりかもしれないが、少なくとも今日の自分は影響を受けているとはっきりと言える。
今秋、新たにオンラインで知りあったり、より相手のことを深く知り得たのはミスコンにエントリーした人たちだ。それもたった数人、ブッシュマンが数えられる人数だけ。
気がついたら、彼女たちを心から応援している自分がいた。彼女たちがそれぞれ参加していたミスコンは、オンライン上で毎日投票できた。
毎日忘れずに、というわけではなかったが、それでも誰かに強制された訳ではなかったのに、気がつくと週に何度も投票していた。見返りがあるわけではないのに、どうしてだろう?
だが、彼女たちを応援することによって、自分がかつて抱いていたふたつのコンプレックスをそれほど意識しなくなっていることを確認できた。それは学歴と外見だ。
20代のころのひねくれていた自分だったら間違いなく、彼女たちを応援できなかっただろう。
SNS上で彼女たちを自分が応援しているのが、多少はまわりからはわかったのだろう。秋が深まるにつれてミスコンにエントリーしている人たちが自分のフォロワーとなった。
だが、自分が決めた彼女たち以外は応援する気はおきなかった。
ミスコンの結果もそろそろ出始めるころなので、そのためだけに自分をフォローしてくれた人たちも、離れていくだろう、当たり前のように。
それがSNSにおいてのコミュニケーションのあり方であるとも思うので非難する気はないが、あまり愉快には思えないが。
自分が応援していた彼女たちの結果が出始めた。ファイナリストに進んだ人、ファイナリストに進んではいたが最後の栄冠を逃した人もいたので、結果は様々。
それでも自分が応援してきた彼女たちには同じ言葉を贈りたい。
お疲れ様、そしてありがとう。結果よりもそれまでのプロセスを大事にして下さい、と。
これからの人生ではプロセスよりも結果のことばかりを評価する煩わしいオッサンやオバサンたちが増えてくるはずだから。