淡白マスヲのたんぱく宣言 

アラフィフのオッサンの雑記。広く浅く、そして薄い視点で気楽に書いてマース。

自分の体のためでも続けることは難しい

 昨夜の寝る前と、朝食事前に飲むべき薬を飲み忘れてしまったので、今日は体調が悪かった。
 昨夜、少々飲み過ぎたせいもあったのだが最近調子が少しずつ良くなっていたので、油断していたのがいけなかった。
 今日の日中に久しぶりに眩暈を感じたし、先ほどの入浴中からときどき、耳鳴りもする。

 昨年の年末くらいから朝から体が重い日が続いた。その段階で近所の町医者の診察を受けたら、軽い風邪で薬を飲むほどでもない、と言われてしまった。
 正月休みを挟むと、今度は明け方に耳鳴りがはじまった。耳鳴りくらいならと思っていると朝になると感じる倦怠感がどんどんひどくなり、朝の通勤電車で背中を誰かに触れられるだけで、立っているのがつらくなるほどだった。

 さらに、しばらくすると今度は眩暈の症状が現れた。初めは昼寝をして目覚めたときにしかでなかったのだが、次第に歩いているときなどにも出はじめた。
 一度、駅のホームで眩暈が始まりホームから落ちそうになったので、心配になり再び診察を受けることにした。
 症状などからどの診療科を受けるか悩んだが、まず脳外科を診察した。

 診察を受けた脳外科では最初に血圧を計測されたが、血圧の数値を聞いてびっくりした。マスヲの普段の数値は120を超すことなんてほとんどないのに、140を超していた。
 すぐに頭の写真(CT)をとり、念のために血液検査も受けた。ドクターから再診の指示を受けていたので、再度そのドクターの診察を受けると特におかしいところはないとのことだった。
 最初の診察時に耳鳴りの薬を処方してもらった。ドクターによるとよく効く薬だから、言っていたが飲み続けても一向に改善されなかった。
 ドクターはメニエール病の疑いもあるから耳鼻科にかかるように指示を出したが、マスヲにはそのドクターが責任転嫁しているようにも感じた。
 
 その日のうちに耳鼻科に行き、脳外科からの指示を説明して診察を受けた。聴力検査などの検査を受けたがメニエール病の兆候は見られないといわれた。
 ただ、耳鼻科のドクターもメニエール病はなかなかすぐに症状がわからないこともあるので、とりあえず経過観察をして、それでも改善されなければ再度の診察を促していた。

 日にちが過ぎてもマスヲの症状は改善の兆しはなく、むしろ眩暈はどんどんひどくなっていった。 
 マスヲは思い切って、診療内科の診察を受けることにした。
インターネットの口コミサイトなどで調べて今の現場からわりと近い病院に電話をすると、やはり評判が良いのか最短でも1週間は予約が取れなかった。
 仕方がないので、その最短日に診察の予約をした。

 以前、鬱病を患ったことがあってその時も診療内科に通院していたがそれでも、やはり診療内科の診察を受けるというのは少し抵抗がある。
 過去のうつ病の際に診療内科の診察を受けていることを義理の父が知ると、猛烈に抗議されたことがあったのだ。
 彼が言うには、そういうことが世間に知れ渡ると娘が苛められてしまうというようなことを言い出したのだ。
 彼から見れば義理の息子よりも孫の方が可愛いし、気にかかるのはよくわかる。
 マスヲだって父親なので娘を可愛いと思っていないとでもいたのだろうか。

 今思い返してもその時のやり取りは腹が立つ。
 だが、相手が自分より弱い立場にあって困っていても、人は自分の経験していないことを相手の立場になって想像できる人というのはかなり限られているのではないかという思いをより深めるきっかけになった。
 当然、マスヲも困っている相手の立場を考えられない貧しい想像力しかない人間のひとりだとも思う。

 診察の結果、どうやら仕事のストレスが原因のようで自立神経がおかしいとのことだった。
「自分でも前のうつ病とは少し違うと思っているでしょ」、と尋ねられた。
「そうですね」とマスヲも素直にうなずいた。
「ただね、こういった症状って改善するのに時間がかかるのよ」ドクターはこちらを覗き込むように続けた。「気長に治療を続けましょう」、と。

 それから2カ月近く経つが、処方で出されている薬と主治医と相談して許可をもらった別の漢方薬を飲むことによって、症状は少しずつだが改善されつつあったのだが、服薬を少しサボっただけでこんなにしんどい思いをするとは思わなかった。

 今さながら自分の体のためであっても、何かを続けることの難しさと、スペシャリストの意見に耳を傾けることの大切さを改めて感じた。

今年も1/3が終わり

 マスヲは今日は出勤だ。しかも、連休前の金曜日にひとつ上の元請けに会社の社員に、GW中はお客様が(エンドユーザー)休みだから、なるべく出勤しないようにと、有難い言葉まで頂いていたのにだ。
 仕事嫌いのマスヲが出勤なんかしたいわけないだろう、全部お前のせいだと怒鳴り返したいくらいだった。

 いつもの駅のホームで電車を待っていたが、思ったよりも人が多い。
 平日ダイヤのいつも通りの時間に電車はホームにすべりこんできた。ホームから先頭車両から車内を見ていると思っているより、人が多い。学生の多い電車というのもあってかせいぜい、普段の3/4くらいだろうか。
 気分が乗っていないせいか身体が気だるいので、座りたいと思っていたが無理だった。
 
 まつりさんの事件がきっかけで働き方改革という言葉を聞く機会だけは増えているが、メーデーでもこんなに休めない労働者が多いようでは改革という言葉だけが独り歩きして、結局は何も解決しないままフェードアウトしてしまう、社会問題の遺跡のひとつになってしまうのだろう。

 さて、昨日で4月も終ったので今年も1/3が終わったことになる。今のところ「公私」でいう、「公」のほうは嫌なことばかりのような気がするが、仕事嫌いのマスヲとしては当たり前のことなので、これ以上のことを書くつもりはない。

 だが、「公私」でいう、「私」の方は今のところ昨年よりは良いと思っている。
 ここ数年、年末になると「七味五悦三会」をキーワードにしてその年を振り返るようにしている。

 「七味五悦三会」の意味をマスヲが知ったのも、40を過ぎた後だと思う。
 簡単に言葉の意味を説明すると「七つの初めて食べた美味しい物、五つの楽しかったこと、そして三人の素敵な人に出会えただろうか」ということです。
 むかしの江戸っ子はこんなことを家族や中の良い人たちと話しながら年を越したそうです。なかなか粋だし、人生を楽しんでいたと思いませんか。

 マスヲは昨年、「七味五悦三会」を考えながら振り返っていると「三会」が全然思いつかなかった。
 年越しの時は飲み屋のお姉さま2人を無理矢理加えて、「三会」とした(なんというさみしいオッサン)。
 毎年、マスヲ家で小中学校からの友人と大晦日に忘年会をしているので、そのときにいた友人のひとりに聞くと彼も「三会」がいないと答えてくれたので、その時は少しだけ慰められた。
 
 でも、今年のマスヲは違う。年々難しく感じるようになっている「三会」に挙げることができる人に、すでに2人も出会うことができた(もちろん飲み屋のお姉さまではない)。
 それどころか、このペースで行くと魅力的な人に出会い過ぎて「三会」を選ぶのに悩むような年になるかも知れないと、期待を膨らませている。

 ちなみに今年、「七味」に入れたい料理もいくつか見つかっているが、今年一番食べて気に入った料理はある店のランチで食べた「牡蠣のボンゴレビアンカ」です。
 あまりの美味しさに自分でもチャレンジしてみたのですが、全然美味しくなかったので、余計にそう感じています。

 今年も年末には何回かの忘年会を行うだろうが、参加するそれぞれの忘年会で「七味五悦三会」の話を絡めていい年だったといえる年になれるように、今日から年末までを過ごしたいと思っている。

雪のち晴れ

 朝日が差し込み目が覚めた。いつもより明るい。 目が覚めると4畳半の部屋に障子越しに朝日が差し込んでいた。時計を見ると6時過ぎ。いくら朝食は7時からといっても早く目が覚め過ぎた。 マスヲが家で寝るときは寝室にかなり厚いカーテンを閉めているため、朝日はほとんど差し込まないから、余計にそう感じた。

 部屋のヒーターを点けて、30分ほど布団の中でごろごろしながら少しでもまどろみたいと思ったが無駄だった。 あきらめて、洗顔して荷物を積み込みはじめようと外へ出た。フロントガラスがほんのりと凍っているだけで、表の国道どころか周りにまったく降雪の様子はなかった。 スキー場の方を眺めると青くくっきりとさいた空にきれいな御岳が見えた。

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 安心しながらも少しだけがっかりして、荷物を積みこんだ。

 そうしているうちに朝食時間になった。食堂にいくと、昨日飲みながら話し込んでいた70代と60代くらいの一人旅同士の男性宿泊者がかなり静かに、箸を運んでいた。  長テーブルに隣同士で座っているのだが、昨夜飲んでいたときはお互いに横目で視線を合わせながら話していたのに、今朝はほとんど視線を合わせていなかった。

 

  娘をスキーに誘ったのだが、妻が反対したためにマスヲもひとりでの宿泊でひとりでの食事。手酌でビールをしながら飲んでいるうちに、2人の話が耳に入ってきたが、割って入ろうとは思わなかった。

 60代の男性はツーリングで開田高原までやってきたようだった。70代の男性はマスヲと一緒でスキーが目的での滞在のようだった。

  初めはお互いに趣味の話を中心に盛り上がっていたが、次第に70代の男性の方が多弁になって言った。彼は他にもいくつかの趣味があるようで、スキーの次に気に入っているのがパラグライダーのようだった。

 初めはパラグライダーに興味を持ったきっかけなどを話していたが、次第にお金の話になって言った。

 横でマスヲが聞いていても一式道具を揃えたり、フライトするたびにかかる経費がそれなりにかかるなぁ、と思って聞いていた。

 

「ツーリングもいい趣味ですね」と、60代の相方の聞き方を彼はさっしたのか話題を変えた。

「僕はどうせ乗るならハーレーがいいなぁ」と。

「僕は自分が好きなバイクであれば、国産でも構わないですけどね」 大瓶1本のビールしかマスヲは飲んでいなかったが、少し酔っていたのだろうか。ここまで聞いていると、70代のオジイサンが何かを自慢したがっているとしか感じなかった。

 

 マスヲはそんな昨夜のやり取りを思い出しながら、2人の様子を見ていた。昨夜は気付かなかったが大きな液晶テレビで何か放送されていた。TVの音声も結構はっきり聞こえてきた。

 おかみさんが味噌汁とお櫃を運んでくると、何杯かをお代わりをして、朝食を素早くすませて席をたった。

 部屋に忘れ物がないことを確認してチェックアウトして、スキー場に向かった。

  駐車場に到着したのは、昨日と30分も変わらないはずなのに、車の量が何倍にも増えている。 昨日はリフト券もすぐに買えたのだが、チケット売り場に着いた時にはすでに数十人の列ができていたし、ゴンドラリフトも朝一番から10分以上の待ち時間だった。その待ち時間も10時過ぎまではだんだんと長くなって行った。

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 この時期のチャオ御岳スノーリゾートの魅力のひとつは、ゴンドラに乗り合わせる人たちとの会話だ。

 この時期までウインタースポーツをしている雪バカたちと話をしているとバカはバカ同士のためか意外と話しがあったりして、有益な情報を交換できたりもする。

 その日も、20代くらいに見えたボーダーと話していると、昨日の降雪の情報がTwitterやLINEで拡散したので、ゲレンデの客が増えたのではないか、と彼らは言っていた。

 

  自称80近いオジさんとも昨日とのゲレンデの混雑の差が話題になった。 「タイヤを夏用に変えてしまったので、宿から来れるか少し心配でした」と話すと、彼に諭されてしまった。 「俺らの仲間のジイサンたちはみんな車中泊だぞ、おれらより若いやつらが贅沢しやがって」と言いかえされてしまった。「俺らは普段平日組だから今日あまり滑れない分、明日またすべるさ」

 イヤミで言ってないのにすぐに気が付いたし、そう言った彼の表情はさわやかに見えた。

 

 マスヲのスキー技術は大したレベルではないけれど、ゲレンデのコンディションが変わってゆく春雪を滑るのも最近は楽しいと思えるようになってきた。

 だが、午後になると雪の抵抗が重くなるために、怪我がどうしても増える。 マスヲも昨日、少し左膝を痛めたのでいつもより早い、昼過ぎにゲレンデから上がった。

 

 早めに出発したせいか、GWの割には幹線国道までの道は空いていた。車窓からいろいろな桃や桜や新緑を眺めながら、自分のペースで気持ち良くドライブできた。

 その最中に自分の知り合いの女性がよく口にする言葉を思い出した。 マスヲは今までは逆に考えていたが、昨日の雪と今日の晴天のせいなのかもしれないが、彼女の言葉に今日だけはなんとなく同意できた。

「愚痴よりも自慢話を聞く方が嫌だ」、というセリフに。

露天風呂での会話

 今日から明日までの予定でチャオ御岳スノーリゾートにスキーに来ている。事前に今日は降雪の天気予報が出ていたが、昼過ぎに2時間くらい雪が降った。4月の終わりに雪が降るのを見て他のボーダー、スキーやもビックリしているようだった。

 今夜は長野県開田高原にある旅館で宿泊する予定だ。旅館なので内風呂もあるのだが、少し足を延ばして「御岳明神温泉 やまゆり荘」という日帰りの入浴施設を利用した。

 開田高原マイアスキー場の近くにあるため、そのスキー場の帰りに寄らせてもらったことが今までにも何度かあった。
 施設内には露天風呂があるのだが、マスヲが利用するのはいつもスキーができる冬のために、露天風呂はいつもクローズされていたが、今日は初めて入浴できた。
 マスヲはかけ流しの温泉と露天風呂が大好きです。もともとこの温泉は源泉の温度が高いため、露天で入れたら最高だろうなぁ、と思っていたのではじめて希望がかなった。

 普段、家の近所のスーパー銭湯を利用することも多く、近くの違うふたつの銭湯の回数券を常備しているほどだ。
 両銭湯ともに炭酸泉を露天にしているために、マスヲも含めて利用者の入浴時間が長くなりがちでただでさえ回転率が悪い。
 しかも、最近の傾向として深夜になると10代後半から20代後半の若者が露天風呂で入浴しながら悩みを語っていることが多い。やっと湯船からあがるかと思うと、グループ内の誰かが話しかけてまた半身浴に変えながら入浴時間が伸びることなんてしょっちゅうだ。
 本人たちは人生でも語っている気になって、青春に浸って気持ちがいいのかもしれないが、マスヲはひとり静かに入浴したいと思っていることの方が多いので、そんなときは気分が悪くなる。
 そういう話をするなとは思ってなくて場所を変えて欲しいと思っているのだ。そんな話は酒場で飲みながらしろ、といつも心の中で毒づいている。

 普段マスヲはそんな勝手なことを思っているのにも関わらず、今日は露天風呂での会話にすっかり入りこんでしまった。
 本当に偶然のようだったが、若い薬剤師とその恩師がばったりと明神御岳温泉の露天風呂で再開したようだった。
 その若い薬剤師は、現在ある地方の県立病院につとめているようで、薬剤師の求人をかけているのになかなか人が集まらないと恩師に愚痴っていたのだ。
「お前がいるからだよ」などと恩師は若い薬剤師をちゃかしていた。
「処方箋薬局が人気があるようで」と若者が独り言にもきこえるような感じで言い返した。
病院には8人の薬剤師が勤務していて2人の求人を募集しているのだが、人が集まらないために薬剤部の部長が定年を過ぎているのに辞められずにいるほどのようだった。

「やりがいは総合病院のほうがあるのにね」とマスヲはいきなり会話に割って入ってしまった。
 まず、自分の知人の息子も薬学部に在籍しているが、彼も処方箋薬局を希望していること。
 自分がむかし、ある私立の総合病院に勤めていることなどを話した。
 マスヲがエンジニアで電子カルテなどの医療システムのメンテナンスなどを行っていたことや、在職中にNSTの話が理事会から突然湧いてきて管理栄養士と薬剤師が苦労していた話などで盛り上がった。
 会話の中で聞いたのだがその薬剤師の彼は病院ではNSTのリーダーだったこともあったかもしれない。

 他の露天風呂の入浴者も結構いたので、普段のマスヲのように静かに入浴したかった人たちもいたかもしれない、と露天風呂から上がってから反省した。
 それから、露天風呂ならではの人同士のコミュニケーションを高める何かがあるかもしれないとも、考えた。
 これから若者たちが入浴中の会話で盛り上がっていても広い心で聞き流すようにできるような大人が増えるといいかなと思った(マスヲはなれるのだろうか?)。

 また、昔は飲酒運転に寛容だった世相もあるだろうがマスヲたちは居酒屋なんかで青臭い話を散々話し、時には相手にむかってつっかかるくらいまで、本音で話し合ったと思い返せる思い出もある。
 今の若者にそういった話ができる場がスーパー銭湯の他にもいくつかあるのだろうか。友人に本気で向きになって話をすることがあるのだろうか(マスヲたちはオッサンになった今でも時々旧友同士でみっともない喧嘩をしているが)。
 酔っぱらって書いているせいか、よりオッサンぽい内容になってきたので今夜はこのあたりで筆を置きたい。

マスヲのプレミアムフライデー

 プレミアムフライデーはマスヲにとって、今のところまったく縁がない。今日もなんとか定時退社するのがやっとだった。

 毎月第4金曜日から連想するのは、昨年に引き続き行うことにした小さなボランティアだ。

 

 昨年、マスヲ家は組長(一応堅気なので町内の)だった。組長の役割の中に月に一度の金曜日、町内の夜回りに駆り出されるというものがある。

 名古屋市内とはいえ、郊外のために普段は平和な町内だ。それでも警察署からの要望でマスヲ家が前々回の組長のときにはじまった。

 夜回りのルールに厳格なものはない。組長と夜回り希望者を第2金曜日と第4金曜日の担当2班に分ける。

 時間は20時から30分~40分ほどで、コースを参加者同士で毎回歩きながらランダムに決めるが、町内をおおよそ一周近くするようなコース取りになる。

 不審人物などは気付いたことはなく、ゴミの不法投棄や街灯がきれているかなどをチェックする。

 こんな程度のことでも犯罪の抑止効果があったと、区の警察署から報告があったそうだが、マスヲは今もあまり実感を持っていない。

 

 最初の組長のときはまったく気乗りがしなかった。ひとつの義務だと思って参加しはじめたので、今思うと参加率も悪かったと思う。

 だが、夜回りに参加すると体を動かすことと、顔と名前が一致しない近所の人たちとのちょっとしたコミュニケーションを取ることができるようになることに気が付いた。

 普段の仕事はデスクワークのためなかなか体を動かさないし、普段家の近所であっても今までだったら黙って通り過ぎていた人とお互いに挨拶くらいはするようになった。

 

 昨年のマスヲの参加率は10/12。一番寒い時期の1月と2月に参加しなかった。1月はすっかり忘れてすっぽかしてしまったし、2月は仕事に追われて参加できなかった。

 3月のときに他のメンバーに誤ったが特に誰も咎めていないように思えた。それも年の功だろうか。

 

 昨年、参加していた夜回りのグループの平均年齢はおそらく60を超していただろう。

 マスヲのお隣さんは70歳を超していて、足の具合が悪いのにも関わらず毎回必ず参加していた。

 そんな様子を見ていると言葉にできない気持ちが高まってきて、今年はできる限り参加しようと思ってメンバーに手を挙げた。

 今夜は近所の小学生の女の子ふたりが母親と一緒に参加したので、平均年齢をかなりさげてくれた。

 リーダーが叩く拍子木をしばらくは面白がっていたし、こちらが話しかけてもマスヲに警戒することもなく会話をしてくれた。そのおかげかあっという間に夜回りの時間は過ぎた気がする。

 

 穏やかな気持ちのまま入浴して夕食を取り、今このblogを書きながら思っている。

 来月最後の金曜日も今と同じような気分になれればいいかな、と。