淡白マスヲのたんぱく宣言 

40歳過ぎのオッサンの雑記。夜遊び、芸能ネタ、日常的なことから社会的なことまでを、広く浅く、そして薄い視点で毎日書くので気楽に読んでください。

性悪説から性善説へ

 昨朝、現在自分が勤めている会社を退職したかつての同僚から、メールが来た。
 内容は自分と一緒に最初に参加したプロジェクトで一緒だった、別会社のエンジニアとカプセルサウナの浴槽で偶然に会ったこと。またその際に、自分を含めた3人で呑みに行くことを約束したとのことだった。

 数年前の当時、確かに3人でよく呑んだものだ。
 毎晩、晩酌はしていないがお酒にそれほど弱くないと自負している自分だが、この3人で呑むときはいつも自分の完敗だった。割り勘負けばかりだった。
 直近の2人がどんな現場でどんな仕事をしているのか、詳細なことは知らない。ただ、自分は何かの縁か、2人と出会った当時のお客の会社の仕事をしている。

 そのころの自分を自然と思い出していた。心の内を中心に。すると、今とはあることが変わってきていることに気がついた。
 当時、自分は性悪説をど真ん中に据えて、生きていた。その当時に比べると今は、性善説の方に少しずつ傾倒している気がする。
 妻と別居してから、数年は変化がなかった気がするが。
 性悪説から距離が遠のきはじめた、正確な時期は分からないが、大まかに振り返って考えると、昨年くらいからではないだろうか。

 若いころの自分は、性善説にどっぷりと浸っていた。世間知らずなこともあったが、それ以上に人を疑う方が疲れるというのが理由だった。人のことを疑いだしたらキリがないからだ。
 だが、あることをきっかけにして、性悪説に染まりだした。そのきっかけとは、結婚と今の業界への転職だ。

 システムエンジニアとしての仕事はシステムを作ったり、守ったりすることが主な仕事だ。そのためには、システムに関わる人がどんな振る舞いをするのかを、ある程度まで掘り下げて考える必要がある。
 例えば、自分だったら行わない間違えた情報入力や、不正アクセスなども、想定しなければいけないからだ。
 そんなことを仕事中にそれなりの頻度で考えれば、人を疑うことが増えても仕方がないと考える。自分のような不器用な人間ならば、特に。

 結婚とは、ある異性と濃密な時間を過ごすこと。今まで自分が経験した、どんな人間関係よりも距離感も近かったし、簡単に逃げ出すこともなかなかできない関係だった。

 そのせいか、最初は気にならなかった相手の欠点も次第に気になりだす。挙げだしたらキリが無いほどに。
 他人の長所よりも短所の方に目がいくようなことが日常化すれば、性善説から性悪説の方へ流れ易くなるのではないだろうか。

 自分は心が塞ぎこんでいるとき、他人を信じられない状態のときには小説を書けない。それは、小説を書きはじめた20代のころから、今も同じだ。
 そのことを昔、小説仲間である同人に話したら、納得してもらえた。マスヲらしいと。

 もちろん、小説の書き方は人それぞれなので、書くモチベーションも当然それぞれだろう。
 ただ、自分が15年ぶりに小説を書き上げたこと、またこれからも書き続けたいというモチベーションが消えていないことは、心の中の天秤が性悪説よりも性善説の方に傾いているのだと思っている。