今更感はあるし迷ったのだが、やっぱりこの事件については自分が感じ、思い、そして考えたことをblogに記すことにした。『東須磨小学校教員いじめ事件』について。
自分の好きな文化人二人がこのことについてtweetしていたことも、自分は影響を受けた。
だが、その二人はあってはならないこと、おかしいことだと痛烈に批判していたが、自分がこの事件を聞いて最初に感じたこととは違う。普通なことだと、自分の感情は処理してしまっていた。
もちろんあってはならないことだが、今のゆがんだ日本の社会では、どこであってもいじめはあって当然だろう。それくらい、今の世の中は病的だと、日ごろから思わずにはいられない。 誤解を受けるかもしれないし、自分の真意が正しく伝わらない可能性はあるが、10代のころから自分がいじめについて考えている持論を披露したい。
いじめの原因はいじめられる当事者にあると考えている。ただ、その原因はいじめられている本人がどうにもできないことがほとんどで、そのことを理解しないでいじめてしまう人間がチープで幼稚だと考えている。
例えば髪が薄いことや足が短いことは、当人の努力ではどうしようもないこと。それらのことを理解できないでいじめる人間は想像力が足りない。
というか、余裕がなさ過ぎて、そこまで考えがまわらないことも、多少はあるのかもしれない。そのことを理由にしても、誰かを攻撃していいはずはないが。
この事件に人々は何について驚き、関心を持ったのだろう? 自分はそれほど驚かなかったので、事件を知った当初は正直、感心は薄かった。
程度の差こそあれ、どんな職種どんな職場であっても当たり前のようにいじめは存在するだろう。
履歴書に書ききれないほど転職している自分の経験上、程度の差こそあれ、いくつかの職場で当事者からはいじめだと言われても仕方がないものを見てきた。
自分の幼馴染みの一人が、昔勤めていた職場で上司から暴力を受けて肋骨を折られたことを真っ先に思い出すし、この先も忘れることはないだろう。
そんなことが当たり前にあるのが、今の日本の現状だと思う。
人々が感心を持ったからこそ、しばらくはニュースでもそれなりに大きく取り上げられたはずだが、所詮そこまで。
世論は大きな流れを作り出すことはできなかった。まるで、人々が初めから何かを諦めているかのように。
自分は次のように考えている。国内の全ての職場において直ちに、いじめの有無を調査すべきだと。
また、実際にその考えについて何回かはTwitterでtweetした。残念ながら自分には強い発信力はないので、ほとんど拡散していないようだが。
今、自分が調査を受けることができたら、美女ではない課長から受けているハラスメントについても、報告できるのに。
もし、彼女が魅力的な女性であったなら、自分は何も報告しないで違った感情に悶えているだろう、きっと?