淡白マスヲのたんぱく宣言 

アラフィフのオッサンの雑記。広く浅く、そして薄い視点で気楽に書いてマース。

予定調和

 ただ寒いだけの日々が過ぎていく。ゲレンデで雪遊びができない冬なんて、自分にとっては彩りも味もない時間だ。
 しかも仕事はテレワークではないので、寒い朝に家から出かけなければならない。

 そんな寒い日々でも、熱い気持ちになっている人もそれなりにいそうだ。今週、衆議院選挙の公示がされたからだ。
 自宅の最寄り駅では朝だけでなく、夕方にも何度か、候補者の名前が書かれたのぼり旗を抱えた人を見かけた。彼らにとっては熱い戦いなのかもしれない。

 前回のblogの記事で、自分の知っている人物が立候補の表明をしていると書いたが、その後に彼女はあっさりと取り下げた。彼女が意思を変えたのはなぜだろう。
 まさか、自分が書いた文章が彼女に何かしらの影響を与えたのだろうか。そんな訳はないと思うけれど。

 各種調査によると、選挙戦序盤は自民党が優勢らしい。
 ちなみに自分の票読みは、自民党の圧勝か惨敗か、極端に振り切れるのではないかと考えている。

 今回の選挙に対する、馬鹿馬鹿しくてやるせない気持ちは何なのだろう。
 そのせいか、自分の選挙区に誰が立候補しているのかもはっきりとは知らないし、知ろうという意欲も湧いてこない。
 早苗ちゃんがあと30歳くらい若くてセクシーだったら、もっと気持ちが高ぶっていたかもしれない。アラフィフになっても所詮は男だから。

 今回は野党にもかなり呆れている。国民民主、保守党、参政党はともかく、新しくできた政党に対して好意を抱きにくい。
 公明党が野党になり、立憲民主党と一緒になったこと。その後の選挙に対する態度が、全く自分には響いてこないこともある。
 小選挙区制の選挙なのだから、両党の候補者の本音が野合だったら、それはそれでよいと思う。
 だが、何のために小選挙区で勝ち切りたいのか、その後に何をしたいのかが、少なくとも自分には全く伝わってきていないのが残念すぎる。

 投票日の翌朝も、自分は満員の通勤電車に揺られて街中まで出かけていくはずだ。
 たぶん世の中はいつも通り。自分もいつも通りに、ただ消耗していくだけだ。

今日の写真のモデルは宗森芽依さん。

ゆったりした月曜日

 月曜日なのにゆったりと過ごせている。
 いつもの平日よりも起床はのんびりできたし、冷たい朝に自転車で駅まで急ぐ必要もなかったし、満員電車にも乗らなかった。
 今日はテレワークだったからだ。おそらく、今の現場では最初で最後のテレワークになるだろう。
 プロパー社員たち全員の社用(社内行事)のために、自分を含めたBPのメンバーはオフィスに居ることができなかったからだ。
 全休、午後からの半休かテレワークを選ぶように通達された。

 自分の契約は準委任なので、成果物や納品物の有無ではなく、オフィスに居ることの月ごとの稼働時間ベースの契約だ。140時間を割ってしまうとペナルティとして対価が減額されてしまう。
 今月は年始の休みがあったこともあって、今のところの見通しだと140時間弱でギリギリだった。そういう事情もあって、テレワークを選択した。
 午後からの半休も考えたが、朝早く起きることや電車通勤をしなくてはならないのだったら、テレワークの方がメリットも高い。
 自分が豚と揶揄しているプロパー社員たちに監視されることもない。

 パジャマのままパソコンの電源を入れて仕事開始のチャットを送ったら、あとは仕事をする気は起きなかった。
 朝食を食べてから、自分のパソコンでスキャルピングをしたり、ポートレートの現像をしたりして、せっかくの機会を有意義に使っている。
 それでも、気持ちは少しずつ忙しくなっている。四月からの講師の仕事についてのアナウンスと、それに伴う雑務が増えてきたからだ。

 このごろは講師としての職業病なのか、新入社員や教育などについて思うことが増えている。
 そもそも、教育って何だろう。組織や人が特定の個人のレベルを引き上げようとするなんて、相手のことを馬鹿にしている行為のような気がしてきた。

 もし個人のレベルを引き上げることができたとしても、その成長の方向性は本人が望んだことなのだろうか。本人が幸せになるための方向と一致しているのだろうか。
 新入社員やリスキルの講師をしていて、受講生たちが会社にとって使いやすいコマになることを促しているような疑念が湧きはじめてきた。

 自分が講師を志した理由は、エンジニアになりたい人に手を貸すこと。
 だが、これまで自分が参加した研修では、それ以外のことを受講生たちは要求されていたように思う。
 自分への対価を支払っている源泉が会社や組織なのはわかるが、なんだかすっきりしないのだ。
 そんなことを考えるようになってきたのは、講師として少し余裕が出てきたからなのだろうか。それこそ、自分は思いあがっているのかもしれない。

今日の写真のモデルは音坂みゆさん。

違和感

 右足大腿骨の骨折による入退院を経てからはじめて冬を迎えている。
 自分が雪遊び好きだということを知っている人たちからは、スキーとスノボの雪遊びに出かけられていない自分の現状に対していろいろな言葉を寄せてもらっているが、本人はそんなに落ち込んではいない。
 まだ、どこかで奇跡的にゲレンデに立てるかもしれないという希望を捨てきれないでいることもあるが、理由は自分でもよくわからない。

 昨年末から患部に疼きを覚えるとこのblogにも書いていたが、冬が本格化しはじめてからは疼きなんて生易しいものではない。職場へ通勤し、オフィスの椅子に座っているだけでも苦痛だ。
 昔の自分だったら大騒ぎしていたかもしれない。

今日のお散歩ショット。カメラを持って出かけたのはほぼ一か月ぶり。

 なんとなく自分自身がより大人になったからではないかと思うことが増えている。すっきりとしないものごとを、そのままの状態で認めることが増えてきたからだ。
 振り返ると痛々しかった若かったころ。20代までは自分が何者かであるはずと盲信していた。大した努力もしてなかったのに、そのように思えていた根拠は何だったのだろう?それは若者の特権なのかもしれないが。

 自分の足の疼きや痛みに関係なく、世の中は流れていく。
 はじめての女性首相の人気が高いままの理由に釈然としなかったのに、なんだかよくわからないままに衆議院が解散されたことに対しても強い憤りを感じることもなかった。
 立憲民主と公明の両党の合併に対してもその事実だけをなんとか消化できた矢先に、違和感を覚える情報を目にしてしまった。

 かつて、自分が撮影したモデルが次の衆議院選挙で立候補するらしい。
 彼女を撮影したのは一度きり。それでも、いくつかの理由があったので強く印象に残っている。
 当時の彼女は撮影会に参加したばかりだったが目立っていた。彼女と対面した時に魅力的だと思えなかったこと。そして、自分が敬意を払っているカメラマンがそんな彼女を素敵に撮った写真をSNSで知った時には愕然としたことを強く覚えている。
 そのカメラマンは彼女の立候補の表明に対して何か思うことはあるのだろうか。

 ちなみに彼女は高学歴。自分が会った時には国立大学に在籍していた。
 そういう意味では政治家としての資質があると捉えることもできるのかもしれないが、何だろう。それでも彼女の立候補を自分は少しも肯定できない。

 最後に誤解を招かないためにも言っておきたい。
 自分は年齢、容姿や女性や男性であることを理由にしたビジネスでお金を得たことがある人間が政治家となることに意義がある訳ではない。
 何だろう、この違和感。上手く誰にも話せない気がしたので、せめて文章に残してみたかった。

今日の写真のモデルは七海りなさん。

冬好き撤回

 これまでで一番高価なスタッドレスタイヤを買ったのは昨年末のことだ。そのタイヤはウインターマックス(WINTER MAXX)。
 右足大腿骨骨折から初の冬に、再びゲレンデに立つつもりで購入したのだけれど、今のところは役に立っていない。ほぼ新品のままだ。
 師走の後半から疼いている右足の症状がよくならないからだ。動いているときはもちろん、立っているだけでも、座り続けているだけでも辛い。毎朝起きるのが苦痛になっている。特に仕事のために出勤するときは。

 手術した部位にいくつかの人工物が埋まったままでも、誰からも特別扱いされるわけではない。
 大怪我をした患者が日常生活を送るのは健常者よりも苦労があるのに、そのことについて他人から気を使ってもらったことはほぼない。
 昨冬、まだ杖を突いていたころに一度だけ、電車の中で席を譲られたことがある。そのとき席を譲ってくれたのが中華系の婦人だったことを、今でもはっきりと覚えている。

 足が疼きだしてから、電車に乗っているとヒヤリとする場面が増えてきた。特に朝の出勤時だ。車内が満員でつり革などを掴めないと、不安を覚える。
 そんな話を誰かにしたら、「キレイな女性にしがみつけばいい」と言われた。トラブルにならなければそれはそれでいいのかもしれないし、ひょっとしたらそれがきっかけで恋物語がはじまったりして。

 そんな足のこともあって、この週末は気持ちも行動量も落ちている。
 したいこと、した方がいいと思うことはいろいろあるのだが、どうしても気持ちが乗ってこない。ウインタースポーツ愛好家でもあるので冬好きを公言してきたが、今のところ今年の冬は季節を楽しんでいるとは言い難い。
 暖冬で雪が少ないらしいと言われているが、寒くなると足の状態が悪化するので、それはそれでいい気もする。

 今の自分が一番に望んでいるのは床活だ。
 朝が来てもベッドから出ず、そのまま一日中過ごすこと。食事、入浴、トイレといった最低限のこと以外は何もせず、温かい布団の中で過ごせたら幸せだ。ベッドで横になっているときが一番足の痛みを感じないからだ。

 とはいっても、それが許されるほど余裕があるわけではない。
 床活しながらお金を得ることはできないものだろうか。

今日の写真のモデルは音音さん。

勝者の作法

 今までに何度か触れてはきたけれど、このblogは未来の娘を読者の一人と想定して書き続けている。
 その視点があるので、どうしても文章にするのを避けてきた内容があるのは否めない。
 だが、今まで自分がなんとなく感じてきたことが、エビデンスとしてはっきりと目の前に現れた。どうするか迷ったが、隠す方がよくないと判断したので、今日は昨日に続いてキーボードを叩いている。

 世の中はやっぱり残酷だ。どんな手段を使ってでも勝者のみが優遇される。それが逃れようもない事実だった。
 自分の実感としてはなんとなく思っていたが、次のようなエビデンスを知ってしまった。

イギリス:エセックス大学の研究(2024年発表)
 約7,000人を対象に、10歳時点での行動と46歳時点での生活状況を、約40年にわたって追跡調査した大規模な研究。
 結果:子どもの頃にいじめ加害者だった男性は、いじめに関わらなかった男性に比べて、中年期に年収が高くなる傾向が見られた。また、仕事に対する満足度も高いという結果が出ている。
 理由:子ども時代の「いじめ」という行動の裏にある「攻撃性」「競争心」「支配欲」といった特性が、大人の社会(特に競争の激しい職場)では「リーダーシップ」や「交渉力」として高く評価され、昇進や昇給につながりやすいため、と分析されている。

イギリス:エセックス大学 社会経済研究所(ISER
 British Cohort Study (BCS70) データに基づく分析(2024年発表)
 内容:幼少期の攻撃性と中年期の社会的成功(年収・職務満足度)の相関について

カナダ:マクマスター大学の研究
 進化心理学の観点から行われた研究。
 結果:いじめ加害者は、自尊心(セルフエスティーム)が高く、社会的地位が高い傾向にあった。また、異性からの人気が高く、デートの回数や性的なパートナーの数が多い傾向が見られた(これが高い婚姻率にもつながる要素だ)。
 理由:いじめを「資源(地位や異性)を獲得するための戦略的行動」と捉えた場合、他人を支配して優位に立つ能力が高い個体ほど、生物学的に「優秀(強い)」とみなされ、パートナーを得やすい、という解釈だ。

カナダ:マクマスター大学 心理学・神経科学・行動学部
 進化心理学の観点によるいじめの研究(トレイシー・ヴァイランコート教授らによる研究群)
 内容:いじめ加害者の自尊心、性的パートナー獲得数、精神的健康度について

 娘だけでなく世間の子どもに対しても、「いじめはよくない」と一義的には簡単に言えなくなってしまった。だからといって「いじめが正しい」なんて言う気もない。
「自分がされて嫌なことは他人にしないでほしい」「優しい人になってほしい」という、自分の単純な願望を、子どもたちへ気安く言えなくなってしまった。

 暴力や他人を攻撃することには辟易している。だが、そんな行為に及んだ本人の人生が好転するのであれば、それを否定する権利が他人にあるのだろうか。
 誰からも好かれるような優しさ溢れる人が成功する物語。そんな物語を評価したり望んだりするのは、もう時代錯誤なのかもしれない。

 今までそれなりの規模の組織で働いてきたことが何度かあるが、その時の印象はいずれもよくなかった。
 その理由の一つは、組織内で重要なポジションに就いていたほとんどの人間に、思考や性格に問題があったような気がしたからだ。
 もちろん、一部にはそうでない人もいたが、圧倒的に少数だった。

 業界ならではだと思うが、某IBMのOBと仕事をしたことが何度かある。
 OBの印象は一人を除いて悪い印象しかない。もっとも悪い印象だった人物とは、ある会議室に一対一で呼び出されて罵倒された。相手は叱責したつもりなのかもしれないが、今の世の中だったら完全にハラスメントと判定されるだろう。
 頭に来たので言い返したら最後は互いに怒鳴り合いになり、驚いた他の従業員が会議室に飛び込んできて、その場は強制終了となった。

 それからしばらくした後、自分はその仕事先を去ることになり、しばらくは金銭的にかなり苦労した。
 人生で何度もお金に困ったことがあったが、このころが一番のピークだった気がする。

 ひょっとしたら自分を追い落とした彼は、自分への言動が評価されているのかもしれない。積極的な態度に見えるからだ。
 自分の態度も非積極的だとは言えないのに、評価されなかったのはなぜだろう。
 自分よりも立場が上の者、お金を持っている者に対して、一切の同情をやめたのはこのころからのような気がする。

今日の写真のモデルは織部 みうさん。