淡白マスヲのたんぱく宣言 

アラフィフのオッサンの雑記。広く浅く、そして薄い視点で気楽に書いてマース。

2018年最初の新年会

 昨日の午後、別居している妻の実家を訪問した。自宅宛に届いている年賀状と娘はもちろん、姪や甥たちのお年玉も用意して。
 すると義理の父母と妻の車はあったのだが、誰も表に出てこなかった。家の中からは人の気配も感じなかった。
 娘だけでなく姪たちの顔を見ることを楽しみにしていたが仕方がない。ポストに年賀状だけを投函して帰宅した。

 夕方からは小中学校からの友人4人と繁華街へ飲みに出かけた。大晦日の忘年会に出席しなかった友人となんとなくピザを食べたいと、昨年内のうちに話していたのがきっかけだった。
 自宅から一番近いターミナル駅の前に出かけたい店があったのだが、2日は休みであることを友人が先に調べてくれていた。

 当初予定していた店が休日だとわかると、店選びは難航した。正月の2日からピザとお酒を提供してくれる代りの店を探したが、来店したいと思えるほど興味惹かれるような所がなかなか見つからなかったが、なんとか見つかった。

 入店してすぐに自分も感じたことを友人のひとりが口にした。俺らが来るような店じゃないよな、と。
 メニュ―だけでなく店内の雰囲気も若い女性グループかカップルをターゲットにしていたのがわかったからだ。
 それでも、ピザはもちろんサラダや食べたいものをそれぞれが何品か注文した。お酒は飲み放題にして。

 4人中の自分も含めた3人は昨日の午前中まで一緒に居たのにも関わらず、場はすぐに盛り上がりはじめた。
 仕事やお金のことに関わらない話であれば、どんなに熱く、ウザく、他人が耳にしたら馬鹿にされそうなディベートだとしても時間は早く過ぎていく。
 古くからの友人であれば、ある程度は許容されるし許しあえることができるのが特別な人間関係の証拠だろう。

 最近、流行りの宅飲み。何故流行っているのかを自分なりに一昨日の忘年会と比較して考えてしまった。
 昔はそうではなかったが、最近宅飲みはあまり好きではない。自宅でも友人宅に招かれる場合でも。

 自分の家なんかに友人たちが来てくれるのは喜ばしいことだと思う。だが、面倒くさがりのくせに変なところで神経質な自分。その性格のせいで人を招くときもどこかで気苦労を感じてしまうからだ。
 友人宅に行った場合はものぐさぶりを発揮して、気が利いた手伝いなんてできない。一度、招待された友人からその点を窘められたことがある。
 どちらにしろ、そんな思いをするくらいなら多少好みでない料理でも据え膳で食べられること。解散したい時に居すぐに別れられる方が自分は好きだ。