淡白マスヲのたんぱく宣言 

アラフィフのオッサンの雑記。広く浅く、そして薄い視点で気楽に書いてマース。

上梓

 自分が参加している同人雑誌の最新号を、昨日受け取った。最新号には自分が書いた小説が掲載されている。しかも巻頭に。
 普通の人がその雑誌を手に取ったのならば、最初に自分の名前と作品のタイトルを目にすることになるだろう。
 以前、参加していたきもいくつか作品を発表していたが、巻頭は一度もなかった。

 15年前に書いた作品を書いたのは確か30歳。その作品を書いたときに自分の書きたいことは、ほぼ書ききったと考えていた。
 何年か経って自身で読み返してみても、色あせることはなかった。今思うと恥ずかしいのだが。
 それが昨年その作品を読み返していたら、何故そんなに自分自身で満足しきっていたのか不思議に思えてきた。あんな作品で。

 もちろん、今まで自分で書き上げた作品には、それなりに愛着はある。だが、その作品の自己評価は全く別物だ。
 15年前に書いた小説だけは構成、登場人物や物語などにも満足していたのだ。書いた当時の自分の能力ではそれ以上のものが書けないという自負もあった。今振り返ると、とんでもない自惚れなのだが。

 昨日、早速読んだ方や同人の主催者からある同じ指摘を受けた。
 だが、その指摘された箇所のことがすんなり思い出せなかったことに自分自身が驚いた。
 だが、指摘された点を本で開いて確認すると、指摘をすんなり受け入れられた。
 他にも内容について質問された箇所も、自分が覚えていなかったところがあった。

 質問されて覚えていなかったところなどを部分的には読み返したが、まだしっかりと全体を通して読み返していない。活版の活字になってからは。
 作品の冒頭からして、拙く感じてしまうからだ。
 作者がそんな風に感じている作品を人に読んでもらうのにも引け目を感じる。読者の貴重な時間と労力を奪ってしまうから。読者にその代わりの対価としての読後感を与えられるとは思っていない。

 作者として作品を書き終わってから、そう感じられるようになるまでの時間が短くなったのが、進歩かもしれない。進歩だと開き直ってみたい。

 次作の構想はいくつかあるし、準備もそれぞれにはじめている。
 だが、その前に久しぶりに著した今作を、照れずに一読者して読み切ることが大事だと思う。
 しかし、今はまだその気になれないでいる。