淡白マスヲのたんぱく宣言 

アラフィフのオッサンの雑記。夜遊び、芸能ネタ、日常的なことから社会的なことまでを、広く浅く、そして薄い視点で書くので気楽に読んでください。

風に吹かれてきただけ

 昨日は第2金曜日。帰宅して門を開けようとすると拍子木の音が聞こえてくる。参加を続けている月一回の夜回り当番が、4月から第二金曜日に変わったことをすっかり忘れていた。
 鞄だけ玄関口に置くとそのまま、集合場所へ急いだ。危うく、今年度2回目の夜回りをすっぽかしてしまうところだった。

 新しい現場での一週間が過ぎた。初めてのオフィス、新しい人間関係に馴染むのに、最近は戸惑いを感じることが増えてきた。
 年齢のせいか、環境適応能力が落ちている気がする。考えたら来月で自分も46歳になるのだから。
 自分で気がついていない疲れが溜まっていたせいか、久しぶりに今朝は朝寝が長くなった。おかげで朝食を取るタイミングを失ったほどだ。

 実は明日、20年来の友人が愛知県を離れることを聞いている。
 彼が大学生、自分がフリータの時にバイト先のファーストフード店でその友人とは知り合った。
 二人ともお酒が好きなこともあって、一緒によくお酒を呑んだ。彼が独り暮らしであることもあって、彼の家にも何度か遊びに行った。
 そのまま飲み潰れて、泊まっていったことも一度や二度ではない。
 彼は大学を卒業すると大学院に進学した。彼が大学院を卒業するまで、一緒に居るときは時間の流れがいくぶん、ゆったりと感じられた。彼の性格的な魅力がそうさせていたのかもしれない。

 自分がこの先、いつまで生きられるのかはわからないが、平均寿命を考えると人生を折り返したと考えるべきだろう。
 生真面目な友人が愛知県を去る理由は、仕事を辞めるため。薄っぺらな自分と彼の選択には違う重みを感じる。
 基本、嫌なことがあるときは当たり前の様に逃げてきたと考えていた。たまには、突き詰めて考えて自己嫌悪の入口にくらいには入り込んだこともあったが。

 だが、ここ数日違う感覚に捉われはじめた。それは、五月の風のせいかもしれない。
 水が低いところに流れるように、時の流れに漂って生きてきただけ。人生もっと気軽に考えるべきではないか、と。
 20代のころから今まで、ただ風に吹かれてきただけ。
 それは、ごく自然にあるがままに生きてくることが出来た証拠だと。そして、気が付くと風に吹かれるままに、今ここにたどり着いただけだと。
 今ここに居る自分を誰かに気がついて欲しい訳ではないので、まわりに向かって叫ぶ必要はないはずだ。今までもこれからも、出会うべき人とは巡り会えると信じているからだ。

 新しい暮らしを始める友人が、この記事を読んでくれるかはわからない。それでも、次の言葉を贈りたい。お疲れ様でした、また会う日まで、お互いに元気で過ごしたいね、と。