街路樹が木の葉を落とす季節になった。今の現場オフィスに行く途中の街路樹も色づき、葉を少しずつ石畳の上に落としている。
出社時はともかく、時間に追われていない帰宅時には石畳の上を歩くときに、今の季節しか楽しむことができない感覚を足裏で愉しんでいる。それは枯葉を踏みしめる感覚だ。『道路に落ちた大きなプラタナスの枯葉を踏むときにだけくしゃくしゃという乾いた音がした。』
村上春樹(1987) ノルウェイの森 講談社
村上春樹の小説、『ノルウェイの森』は今までに何度も繰り返し読んだ長編小説のひとつ。その中でも上記の描写は最初に読んだときから気にいっている。
今ではこんな描写をいつか書けるようになればと強く思って、日々駄文を連ねながら時間だけが過ぎていく。
人間の情報は7割が視覚、2割が聴覚であると言われているが、視覚以外の人の感覚に訴求しているところが素晴らしい。
今の季節の街路樹を見ると、ある曲も連想する。その曲とは尾崎豊の『街路樹』。この時期になるとカラオケどころか、鼻歌でも歌いたくなるほどだ。
歌詞の中には直接的な表現では、秋を思わせるような言葉は出てこないのに、曲全体のイメージから自分は秋、しかも晩秋を連想してしまうのは何故だろう?
尾崎豊自身はこの曲に特定の季節をイメージしていたのだろうか。
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今の会社に入社してからの一時期、自転車で通勤していたことがある。いくつかの季節、いくつかの現場が変わっても。
冬の終わりから暑い夏でも汗だくになりながら、ペダルを漕いだのが懐かしい。
近いところであれば、自宅から30分超で着くようなオフィスもあれば、1時間近くかかる仕事先もあった。
秋が深まったある日の出来事がきっかけで、自転車通勤を辞めた。その出来事とは自転車に乗っていたときに転んだことだ。
石畳の上に散っていた枯葉の上にタイヤが乗り、滑ったのだ。転倒時に膝を石畳で強打したために、しばらく立ち上がれないほどに痛かった。幸い打撲だけで済んだのだが。
歩いているときに枯葉を踏むのは気持ちが良いが、自転車乗車中の時にはアクシデントの原因になった。
それ以来、自転車では自宅からの最寄り駅までしか通勤に使っていない。
自転車で通勤していた理由のひとつは、運動不足を気にかけてのこと。システムエンジニアという仕事柄、デスクワークのために仕事中はほとんど身体を動かさないためだ。
週末のアルバイト先で忙しいときには、1時間で1,000歩ほど歩くこともあるが、それだけでは運動不足は解消されていない。
結婚したころから毎朝計測している体重が、そのことを物語っている。ちなみに、今朝の計測結果は、77.7㎏……。