淡白マスヲのたんぱく宣言 

アラフィフのオッサンの雑記。広く浅く、そして薄い視点で気楽に書いてマース。

修行中の宿坊での経験

 昨日までの二日間、野麦修行僧となって出家していた間のこぼれ話を今日は書き綴りたい。
 それは、宿泊した宿についてだ。一昨日の記事で宿坊と揶揄したのには、大きな理由がふたつある。ひとつはある宿泊検索サイトのレビューだ。晩秋に利用した旅行者が室内は寒くて、寝るどころではなかったと酷評していたからだ。

 自分は1泊2食付きで5,350円で利用した。しかも、ネット予約時にそのほとんどの5,300円分をポイントで支払ったので、現金の持ち出しは50円のみ。チェックイン時に、別途入湯税と暖房代として数百円を請求されたが冬場の上高地、乗鞍方面で宿泊すれば当たり前のことなので、違和感はなかった。
 寒さには用心して、スキー場の駐車場でも車中泊ができる-35℃まで耐えることができる寝袋を車に積み込んでいたが必用がないばかりか、夜半に部屋の暖房を切ったくらいだ。

 もうひとつは、宿にお邪魔した際の第一印象だ。売店を兼ねた薄暗い入口をくぐると、自分の入店を告げるインターホンは鳴り響いたが、誰も出て来てくれない。仕方がないので、大きめの声で呼びかけた。こんにちは、と。

 すると、綿入れを着た少し大柄ではあるがむっくりとした爺さんが、ろくな挨拶も無しに現れた。無愛想に誰かを呼んでいるが、誰も来ないので諦めてスマホをかけ始めると、女将さんらしき人が店の外から入ってきた。
 お客さん、と無骨に一言だけ言うと、爺さんはさっさと奥に引っ込んだのだ。彼の態度には辟易したが、値段を考えるとこんなものかとも、思った。

 女将さんは常に笑顔を浮かべた感じの良い人だった。部屋とお手洗い、露天風呂と夕食の時間などを手短に案内してくれた。余談に、今日夫婦で広島から戻ってきたばかりだと話してくれたが、その時点でその意味が自分にはよくわかっていなかった。

 特にすることもないので、露天風呂に向かった。入浴するために。さわんど温泉に入湯するのは初めてだった。
 着衣を脱いで湯船に足先を浸けると、考えていたよりも熱い。最近は、ぬるい温度の湯船に長い時間浸かるのを好んでいる自分にとっては熱すぎた。
 露天風呂の壁の縁にあるシャワーで水を湯桶に二、三杯汲んで湯船に入れると、なんとか少しずつ身体を湯船に沈めることができたが、快適とはほど遠い入浴となった。
 湯船は少し硫黄の香りがしたが、湯色は透明に近かった。付近の温泉、白骨、乗鞍や奈川温泉などははっきりとした色が特徴なのに対して、色の違いが際立った。

 結果的に入浴時間が短くなってしまった。部屋に戻った後に、昨日分のblogの文章のほとんどを書き上げた
 夕食は18時からだった。ほぼ時間通りに、女将さんが声をかけてきた。店の入口で500㎖の缶ビールを買ってから、食事場所に向かった。食事場所は、普通の家の居間のような場所だった。TV、こたつと座布団が敷いてある。

 入口から一番奥側にカセットコンロが置かれ、その上に鉄鍋が載っていた。そこまで行くのに座布団を踏むことになるので気にしていると、女将さんに気安く促された。踏んで下さい、と。
 行儀悪く、何枚かの座布団を踏んで鉄鍋の前に座った。間近で鉄鍋を見ると、すき焼きだった。カセットコンロの脇には、箸置きに置かれた割り箸と取り皿が置かれ、取り皿の中には白い卵が入っていた。

 こたつの真っ平ら面で卵の殻を割ろうとしたが、殻がしっかりとしていてなかなか割ることができなかった。気を使って卵を取り皿に割ると、黄身がキレイに膨らんでいた。殻の堅さに、なんとなく納得しながら卵をかき混ぜた。
 取り箸がなかったので、直箸で鉄鍋から鍋の具を取り分けて、食べ始めた。もちろんビールを呑みながら。
 甘さが抑えめで醤油が少し強めに感じたが、それが疲れた身体にあったし、冷えたビールの美味さがより際だった。
 甘足らないようであれば砂糖を足すけれどと、口にしてくれた女将さんの申し出を断った。女将さんは話を続けた。このすき焼きは主人が作ったということを。本業は薬剤師だが、他に調理師の資格も保持していることも。

 その話を聞いてびっくりした。人は見かけによらないとはよく言うが、最近は自分の中で感心の薄い言葉になっていた。無愛想でずんぐりむっくりの爺さんが、薬剤師だったなんて。それだけでなく、こんなに魅力的な男らしい料理を作れることも。
 自分が感嘆していることと、箸の進みかたに気をよくしたのか、女将さんは益々多弁になった。すき焼きを作った爺さんの趣味から、現在の夫婦の暮らしぶりまでを。
 趣味は絵を描くことで、日展に十数回入選しているほどの腕前らしい。なかでも、上高地の風景を題材にすることが気に入っているようで、今までに3台のキャンピングカーを買い換えて、生活拠点の広島から時間が取れる度に長年通っていたらしい。

 あることがきっかけで5年ほど前に、今の宿を借金毎引き受けてオーナーになったようだ。暖かい時期は宿や売店の仕事をしながら絵を描いたりしているが、閑散期になると今でも勉強しているらしい。81歳の彼が今、取得を目指しているのは運行管理者であることと、次の受験が3回目の挑戦であることも女将さんは語った。しかも受験日が数日後だということも。

 爺さん本人は当初、中型二種免許の取得を目指したが高齢を理由に家族全員が猛反対したので、運行管理者の取得に目標を変えたらしい。
 その話を聞くと、益々無愛想な爺さんに興味が沸いてきた。81歳にしてもまだ未来に描くビジョンがあることに対して、知らず知らずのうちに敬意を払わずにはいられなかったし、自分に対しても大きな刺激になった。

 ちなみに広島での夫婦の暮らしぶりは、金銭的にはある程度余裕があることも女将さんの話から伺えた。ちょっとした自分たちのビルを所有しており、その1Fで身内が処方箋薬局を経営しているようだ。
 この宿での宿泊が自分にとって、貴重なものになるかもしれない。