淡白マスヲのたんぱく宣言 

アラフィフのオッサンの雑記。広く浅く、そして薄い視点で気楽に書いてマース。

全国4位

 娘との日曜日のデートを午前中までにした理由は、所属する同人誌で自分が書いた作品の授賞式だったからだ。その日の主役なので、出席しない訳にはいかない。
 その理由を娘にわかりやすく説明すると次のように言い出した。授賞式に出席したい、と。
 式に出席するのは大人ばかりだからとなだめると、今度は別のことを言い出した。お父さんが書いたお話を読みたい、と。
 この娘の意思にはびっくりしたが、中学生になったら読ませることを約束した。その時まで娘が覚えているかも怪しいし、自分と口を聞いてくれる間柄であることの保証もないが。

 妻が娘を迎えに来る約束時間の21時まで、実家で母と弟にみてもらうようにお願いしていた。
 賞状と花束をもらうことはわかっていたので、それだけは娘に見せたいと思ったので、二次会が終わって急いだがギリギリすれ違いになってしまった。

 花束を人に贈ったことは今までに何度もあったが、自分がもらったのは高校の卒業式以来。卒業式後に所属していた放送部の後輩たちに別れの挨拶をした時に受け取ったのが、最後だった。

 また、賞状を受け取ったのも高校生の時以来だ。自分が所属していた部活は文化部ながら、活動が盛んだったので毎年いくつかのコンクールに参加して、それなりの成果を上げていた。
 放送部自体がある学校も多くなかったかもしれないし、体育会系の運動部ならまだしも、文化部で精力的に活動している学校は珍しかったと思う。
 参加する学校が少なかったこともあるとは思うが、自分たちが手にした最高の順位は、NHK杯全国高校放送コンテストでの4位だった。
www.nhk-sc.or.jp
 高校在学時代は運動部の顧問をしている先生たちから、良い目で見られていなかったことはなんとなくわかっていた。放送部の顧問の先生や、卒業した先輩たちから聞いていたこともあって。
 他の先生たちの中には自分たちに敵意をむき出しにしてきた理由も、今の歳になってなんとなくわかる。

 ただ、今思い返すとどの先生にも褒めて欲しかった。3年生の夏休みまで部活動をしていたが、3年間で担任に肯定的な意見を聞いた記憶は悲しいかな、ひとつも残っていない。
 それどころか、3年の担任にはことある毎にいつまで部活をするのか、釘をさされることも珍しくなかった。

 一緒に部活をしたメンバーとは、ここ数年は会っていないが、30歳を過ぎたころからはお互いに過去の栄光をもっと肯定するべきだという話になることが多くなった。
 高校を卒業してからも、これからの人生でも、どんな些細なことでも全国で上から4番目になれることがほぼないことを、悟ったからだろう。今でもその考えは変わらない、寂しいけれど。

 娘は4月からブラスバンド部へ入部したと、日曜日に聞いた。機会があったら、自分の過去の栄光を一度くらいは話してやりたい。例え、辟易されたとしても。

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雨上がりの広域緑地公園の池。