WHOが新型コロナウィルスのパンデミックを宣言した。日本を含めた東アジアだけでなく、イタリアをはじめとしたヨーロッパの状況を考えたら、驚きはなかった。
今週の日曜日に弟と話していたときのこと。久しぶりに学士らしい見識を感じた。弟は大学でヨーロッパの歴史を専攻していたこともあって、次のようなことを口にしたから。
ヨーロッパ人はペストの流行を歴史的に教訓としていると。
そう考えると、日本人が感染症に対して鈍感なのは仕方がないことなのかもしれない。
せめて、これからのために今回のことを経験として活かしていくことが重要になるだろう。 実は昨日、コロナウィルスに罹患していると思われるエンジニアが、自分が働いているオフィスに居たことが判明した。
その前触れはあった。朝一番で、現場先である会社の総務責任者からメールが届いていた。文面は形式的ではあったが、強い警告内容だった。
毎朝、出勤前に検温すること。体温が37.5℃以上だった場合は、出勤しないことなどが書かれていた。
それから数時間後、オフィス内はざわつきだした。そのエンジニアが経由していたパートナー会社のグループメンバーたちの全員が半ば強制的に、在宅での仕事をするための準備をはじめたからだ。
また、その数時間後ろには数人の掃除婦がオフィスに入室してきて、ある特定の部分だけの掃除をはじめた。何もなければ、週に一回しか行われないオフィス内の清掃なのに。
見方によってはコメディーだった。エンジニアが本当にコロナウィルスを発症していたならば、まわりで一緒に作業していた人たちにはもう、その影響が出ているはず。今更、清掃しても遅すぎる。
そんな状況にも関わらず、公的なアナウンスはどこからも聞こえてこなかった。自分が帰宅するまでは。
自分が所属している会社からも、情報は何ももたらされていない。
いつの時代になっても、自分たちの利害に反する情報は隠蔽しようとする本能が、組織には宿ってしまうのだろうか。組織を構成している人たちのことなどは顧みずに。
組織が作られる目的は人のためのはずなのに、組織が一度出来上がってしまうと、人を生け贄にしてしまう。
こんな滑稽な悲劇は、人の営みが続く限りはなくならないのだろうか。大なり小なりはあるだろうが。
自分が見たような光景が今、日本の国内でどれくらいあるのだろう? 行政がPCR検査を推し進めないことも問題だが、もっと身近に大きな問題が隠されていることを、やっと気がつけた昨日。
自分のように気がつけた人はいるだろうし、これから気がつく人もいるだろう。
一人でも多くの人が組織の振る舞いに気づき、考え、行動するようになれば今回の感染症の流行も、デミリットばかりではなかったと、後世の人たちに話せるはずだ。