淡白マスヲのたんぱく宣言 

アラフィフのオッサンの雑記。広く浅く、そして薄い視点で気楽に書いてマース。

金融と鉄道

 インフルエンザB型が治癒したことになったので、今朝は出勤した。1週間ぶりの堀田の街には何も変化を感じなかった。
 今日は1日マスクを装着していたが、インフルエンザが他人に感染することを慮ってではない。ただ、自分が花粉症の症状で苦しんでいるためだ。

 内科医で処方してもらった服薬、アレロックを使用すると花粉症の症状はかなり緩和されるが、強い副作用とも付き合わなくてはならない。その副作用とは睡魔だ。
 処方箋薬局の薬剤師に、仕事で機械の操作や車の運転をしないかを質問されたほどだ。パソコンも厳密にいえば、機械になるかもしれないのだが、そのときは気がつかなかったが。
 副作用と戦っていたせいか、午前中が長く感じた。結局、何度も戦いに負けて、何度か気を失っていたが。
 まだ、現場に入って2日目のこともあって、具体的な指示が出ていないせいもあるのだが。

 今の現場では正午にチャイムが鳴る。学校で鳴っていたような懐かしいチャイムが。その音が鳴り出すと、一目散にオフィスを飛び出した。
 堀田は工場の街なので、工場内の社員食堂でランチを食べる従業員が圧倒的に多いこともあって、お昼が食べられる店が極端に少ないからだ。特に地下鉄の駅周辺では。私鉄の駅まで足を伸ばせば、それなりにお店があるようだが。

 今日の昼食は印僑がもてなしてくれる、インドカレーの店で食べた。店の扉を開けると店内は、テーブルがふたつと4、5人が座れるカウンターがあり、女性の3人組が先客として奥のテーブルに陣取っていた。自分はカウンター隅のスツールに座った。
 しばらくすると、スーツをぎこちなく着こなした若い男性が入ってきた。彼はランチの注文をした後、何度も電話をかけたり、受けたりしていた。慣れていないせいか、かしこまった言葉で。就活、真最中なのだろう。

 自分が大学に進学していないので、就活を経験したことが無い。興味本位で彼にいくつか質問をしてみた。まずは、就活時期の解禁について。
 彼は時期が早まることについては、否定的だった。大学の勉強だけでなく、部活動に真剣に取り組んでいる学生にとっては、部活動に打ち込める時間が制約されてしまうことを気にしているようだった。

 次に彼の学部と、志望先の会社について尋ねた。経済学部に在籍していて、金融と鉄道の会社を目指しているようだった。
 唐突なオッサンの質問にも快く答えてくれた青年に、自分は素直な気持ちをぶつけた。金融と鉄道には、あまり関連性を感じないけれど、と。そうですね、と彼も素直に答えてくれた。頭こそかいていなかったが。
 自分の好奇心と暇つぶしに巻き込まれた彼の就職活動が、上手くいことを細やかながら願っている。

長い間お世話しました

 10年以上続けてきた副業先を今日、卒業した。自宅から自転車で10分ほどのラーメン屋でのアルバイトを。
 最近は自転車で通勤することが多かったが、今朝はマイカーを選んだ。天気予報で帰りの時間には雨が予想されていたし、自転車だと花粉を多く浴びてしまうからだ。

 いつものように9時前に出勤して、タイムカードを打刻した。働きだした10年前から変わらず紙製のカードに。名古屋市内に複数店舗展開し、TVCMを流すほどの資本があるのにも関わらず、現場のほとんどの作業は昔ながらのままだ。そんな環境にはデジタル式のタイムカードは不似合いなのかもしれないが。

 引き続き着替える前に、いつもと同じ作業を行った。店外にある冷蔵ストッカーから大量のもやしを店内の冷蔵庫に運んだ。週末の土日はだいたい、一袋数㎏あるものを40個前後運ぶことになる。
 もやしを運び終えるとジャーの中に残っているライスの量を目分量で確認してから、必用な量のお米を研ぐのだ。昨日は2㎏を2回、今日は1.5㎏と2㎏の2回。

 その間に餃子を焼く鉄板に火を入れて熱し始めてから、店の2Fにある更衣室で着替える。こびりついた油汚れを落とすのには、鉄板を温める必用があるためだ。
 着替えて降りてくると、炊飯釜に流水を流し込んでいる水を止めて釜を炊飯器にセットし、スイッチを入れる。炊飯器はガス釜なので、青い炎が点いているかを目視しなければならない。

 そのころには温めていた鉄板には充分に熱せられているので、専用の洗剤を使用しながらこびりついた汚れを浮かび上がるように、金属たわしをコテで抑えながらこすり洗いをする。
 ある程度汚れが浮かび上がったら、熱いままの鉄板をシンクに移して、細かい汚れと鉄板の蓋も洗っていく。

 自分が働き始めたころには完全に手洗いだったが、昨年に業務用の食洗機が導入されたので、この作業は多少楽にはなったが。
 ある程度の汚れが落ちたタイミングで食洗機に放り込めば、濯ぎも兼ねて仕上げ洗いもしてくれる。

 その間に、餃子を焼く鉄板をセットする周辺あたりとその壁面、天井と換気扇まわりの汚れを雑巾で拭き上げるのだが、180㎝近い自分の身長のおかげで多少は他の人よりは楽ができたと思う。
 拭き上げた後に、餃子の鉄板とその蓋をセットする。

 開店前の仕事の中では餃子の鉄板清掃が、一番手間がかかる。汚れがひどい時には時間だけでなく、磨き上げるために力もそれなりに使う。
 ここまでの作業を1時間くらいで行わなければ、後の仕事の時間配分が厳しくなってしまう。

 10時ごろになると、炊いていたご飯が炊き上がってくるので、ジャーに移さなければならない。昨日の残りがあれば、炊き上がったばかりのご飯の上に載せて。
 そしてすぐに炊飯釜を洗って、2回目の米研ぎを始めなければならない。

 2回目のお米を研ぎ終わり、流水で糠を流しているうちにライスが注文されたときに付ける、沢庵を切り分ける。大根一本ごとつけ込まれたものが納品されるので、それを水洗いする。その後は縦に裂くように切り分けて、かまぼこ状の形状に5ミリ㎝間隔でカットしていくのだ。

 店内の飲み物ストッカーの在庫を確認し、足りない飲み物があればそれらを補充しなければならない。
 ちなみにラーメン屋で提供しているドリンクは瓶ビール、ノンアルコールビール、日本酒の一合瓶にコーラだ。一番需要があるのはビールなので、ビールのストック量には気を使う。特に夏の時期には。

 ここまでの作業を10時30分くらいまでには行わなければならない。10時30分過ぎには社員が賄いのラーメンを作ってくれるから。
 朝の開店準備作業中も、慣れているメンバー同士だと皆口も軽く和気あいあいと作業しているが、賄いの食事中は従業員のほとんどのメンバーの口がより軽くなる。
 店の営業時間は11時からだから、30分ほどは皆がほっとできるひとときだ。

 自分も最後の賄いを食べながら、あることを他の従業員に話した。店の責任者である人物に、挨拶をすることに抵抗を感じてしまうと。長い間お世話になりました、と口にすることを。
 すると皆もその気持ちを理解してくれた。ある人物は次のようなことを提案してくれた。言い間違えたフリをして、次のような言葉を口にすればと。長い間お世話しました、と。
 鈍くて自分に都合の良いようにしか理解しようとしない、店の責任者はそのセリフにさえ気がつかないかもしれない、と。

 自分にとって働いた最後の営業時間は、ここ最近の中でも忙しいほうだった。花粉症に苦しんでいることもあったし、自分も多少は感傷的になっていたせいか、いつも以上に疲れを覚えた。
 自分のアルバイト時間が終わる14時の10数分前に、店の責任者が出勤してきた。彼が着替えて厨房に入ってきた時も、従業員全員がバタバタしていた。そんな最中に自分は彼に対して口にした。長い間お世話になりました、と。
 お世話になった自覚などほんの僅かで、それ以上にお世話してやったと思っているのにも関わらず。この10年で自分が随分大人になることができたと、思えた瞬間だった。

花粉症休暇

 今年、見事に花粉症患者の仲間入りを果たした自分。今までもそれらしき兆候を感じた年も、希にあったが今年の症状はそれとは全く別物だった。
 2月後半のある日、目が覚めると喉が痛くて風邪のようにけだるい。風邪を疑って検温すると、平熱だったのでがっかりして、ベッドから出た。微熱でもあれば、大手を振って病欠で休むつもりだったからだ。

 ベッドから出た後も気だるさは続いていたので、朝食を食べたあとに総合感冒薬を服薬して出勤した。
 電車に乗っている間もしんどくて仕方がない。喉の痛みも治まらない。なんとか現場オフィスまで行っても、症状は改善されなかった。
 昼食後に再び同じ薬を飲んでも、午後からの状況は変わらなかった。

 そんな症状が数日続いた。自分が気になる症状は、気だるさ、喉の痛み、鼻づまりと目の痒みの順だ。それらの症状の中でも気だるさは特に酷くて、仕事に集中できないほどだ。

 診療内科への通院後に、処方箋薬局に訪れた時だった。薬剤師に症状を相談したところ、花粉症の市販薬を勧められた。相談した薬剤師も飲んでいると話してくれた商品を買って、試してみた。
 勧められた服用薬は1日2回、朝と晩に飲むタイプ。飲んだ直後から、風邪だと考えていた症状が、著しく緩和されたので、確信した。自分を苦しめていたのは風邪ではなくて、花粉症だということを。

 数日市販薬を飲み続けていたが、若干困ることがあった。朝の早い時間は薬が効いている気がしたが、午後になるにつれて花粉症の症状が気になってくるからだ。一度、医者に診察してもらうことにした。
 かかりつけの内科医に症状を相談すると、喉の痛みと花粉症の症状全般を抑える、それぞれ2種類の処方箋を書いてくれた。

 その処方による薬を飲み始めると、市販薬よりは確かに症状は抑えられる。だが、大きな問題があった。
 その問題とは眠くなること。処方箋薬局で薬剤師からもそのことは注意を受けたが、はっきりと回避する方法は教えてもらえなかった。
 デスクワーカーの自分にとって、薬の副作用による睡魔ははっきりいって強敵だった。何度も自分は打ち負かされてしまっている。

 副作用に敗北しはじめたころは多少罪悪寒を覚えたが、次第に自分の考えが変わった。
 花粉症は医学上、疾患に分類されていることがその根拠だ。我慢し難いレベルになったら、学校も仕事も休むべきだと。

 不完全な集中力で勉強しても学習に身が入らないし、仕事をしても不効率であるばかりか、取り返しがつかないミスが起きる可能性だってあるからだ。
 その場合は誰が責任をとるのだろう? もちろん、自分は本人ではなくてそんな状態で働かせた管理者だと考えているが。

今年度最後の夜回りの時間までに

 昨日、会社からメールが送られてきた。メールの文面は、現場では自分がインフルエンザB型に罹患していることになっているので、来週の月曜日に出勤した際の注意だった。

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会社から送られてきた馬鹿馬鹿しいメール。
 何故、そんな子供じみた安っぽい嘘をつくことを上の会社は考えたのだろう。子供っぽい自分にも、何故かその道理がわからない。
 一昨日にも誓約書にサインして返信するように、会社からメールが送られてきた。休みなのに、何かしら会社から時間を取られるような指示がくる。
 日本人の社畜メンタリティーであれば、違和感を覚える人間は少ないかもしれないが、他の国の人からしたらどうだろう? 時間外労働に当たると判断する人たちが多いのではないだろうか。

 さて、今日の自分はきそふくしまスキー場に出勤した。1級受験で手古摺った、不整地の滑走を克服するために。
 木曽福島スキースクールの『不整地特別レッスン』の受講をバッジテストの結果発表後に申し込んでいたからだ。
 1級の受験結果を知った後に、もうひとつ自分がしたことがある。ずっと欲しかった、オガサカの今年モデルチェンジしたスキー板を購入したことだ。ビンディング付きで定価は12万以上。自分の小遣いを考えると安くない買い物だが、スキーのレベルアップができないことを道具のせいにしないためだ。

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購入した、UNITY U-OS/1
 宿泊先からゲレンデまでは、車だと10分ほどだったこともあり、9時前には新しい板でゲレンデを滑りはじめていた。
 今日のきそふくしまスキー場のコンディションは、素晴らしかった。一昨日、昨夜の降雪とゲレンデメンテナンスのおかげで。
『不整地特別レッスン』が始まる10時までは、新しい板を思う存分楽しんだ。
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クワッドリフト降り場から山々。↓スカイコースからの下部。
 10時前に指定された集合場所に向かうと、受講者は8人で、その内の1人は女性。対してインストラクターは2人だった。
 午前中は全員で同じカリキュラムをこなしたが、午後からはレベルに合わせたチーム編成となった。自分はもちろん、下手くそチームに仕分けられた。

 自分が所属したチームは3人で少数だったが、正直自分は落ちこぼれていた。インストラクターの言っている意味がわからないこともままあったし、理解することができても実践できないことも多くあった。久しぶりに、複数回転倒したほどだ。
 今日のレッスンで思い知らされたことがある。それは自分のリズム感の無さだ。どうしてもコブ斜面では、リズムとテンポが要求されるからだ。

 16時過ぎにゲレンデの駐車場を後にした。自宅に向かうために。
 明日と明後日、副業先のラーメン屋で最後のご奉公をすることも理由だが、その前に今夜の予定があったからだ。毎月第二金曜日は20時から、町内の夜回りに参加しているからだ。
 19時30分過ぎに帰宅して着替えなどが入ったバッグ、スノーボードとスキー道具一式を急いで降ろしてから、夜回りに参加した。今年度最後となったが、今のところは来年度も参加するつもりではいる。

野麦モード

 木曽福島の宿に泊まって目が覚めると、昨夜は雪だったようだ。宿の部屋から見える近景には雪がなかったが、遠くの山々を見ると、雪化粧していた。
 素泊まりだったので、朝食を買い求めるために木曽福島駅最寄りのコンビニに立ち寄った。駐車場に入ってくる車の何割かは、雪をまとっていた。

 コンビニで買い求めたシンプルな弁当と味噌汁を食べ終えると、ホームゲレンデである野麦峠スキー場に車を走らせた。
 国道を走っていても、久しぶりに道路脇に雪が見えた。国道から薮原、上高地方面へ向かう県道に入ると車道にも雪が目立ってきた。途中、除雪車が作業していたほどだ。
 雪道の運転は気を使うが、暖冬傾向が続いている今シーズンのこの時期に、降雪があった喜びでハンドルを握っていてもテンションが上がってきた。

 境峠の手前から冬タイヤでないと危ない状態となり、ゲレンデの駐車場に着くと真っ白な平原が広がり、その脇に数少ない車が止まっていた。
 自分が駐車場に到着した時間は9時過ぎ。自分の車に続き、左側にすぐに車が停まった。その車を入れて数えても、14台しか車はなかった。のんびりした、まさに野麦モードになりそうな予感が朝一番から漂っていた。

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駐車場からの間近の木々にも、雪が積もっていた。
 宿で既にウエアに着替えていたので、靴をスキーブーツに履き替えるだけで素早くゲレンデに向かうことができた。ゲレンデベースでも20㎝ほどは雪が降ったようだ。
 朝のゲレンデには霧がかかり視界が悪かった。そのせいで、ゲレンデトップまで昇ることができるリフト、スカイラビットの運転開始が若干遅れた。
 クワッドリフトに乗り、ゲレンデの中腹から滑りだすと降った雪は湿り雪で、滑りにくかった。
 下まで降りてくると、スカイラビットの運転が開始されたので、ゲレンデトップまで上がった。
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朝しばらくは、霧がかかっていた今日の野麦峠スキー場。
 ゲレンデトップ付近でも雪は重かった。さすがに、3月の雪、いかにも春の雪らしい。それでも、今年のような暖冬だったシーズンの終盤に降雪に恵まれたのはラッキーなのだろう。

 昨日の1級受験の疲れに、さらに春の重い新雪を滑ったせいか、すぐに足が重くなってきた。
 いつもよりも早い、13時過ぎにはスキーからスノーボードに板を履き替えて、初心者コースのバンビゲレンデに向かった。平日は、稼働リフトが少ないために初級者コースだけをフォローするリフトが動いていないので、自分のスノーボードのレベルでは初心者コースしか滑ることができないからだ。

 昨年、スノーボードを買ってから一度もワックスを塗ったことがない。スキー板にはシーズン終盤に向かうほど、割とこまめにワックスをかけるのに。
 理由はスノーボードが走ると怖いと思っていたからだ。だが、その考えが今日変わった。今日のような湿り雪だと、スノーボードでもターンがしにくいし、板の走りが一定でないと滑りにくいことがわかったからだ。
 少しずつ、スノーボードの技術もステップアップしているのだろう。

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初心者コースのバンビゲレンデで転倒したときに、空を撮った一枚。