淡白マスヲのたんぱく宣言 

アラフィフのオッサンの雑記。夜遊び、芸能ネタ、日常的なことから社会的なことまでを、広く浅く、そして薄い視点で書くので気楽に読んでください。

休日の朝に考えたこと

 今日は6月最初の日曜日。自分が住んでいる町内では毎年恒例の行事がある。その行事とは草抜き。町内会に所属している全世帯が朝の8時から2時間、道路の草抜き、ドブさらいと清掃を行うことになっている。

 自分が今の町内に居を構えたころは、さぼったことや、寝坊して参加に遅れたことも何回かあった。
 そのころはまだ20代で若く、休日の朝の8時は自分にとってはいつも寝ている時間だったからだ。
 ここ数年は、スマホのスケジュールアプリを使用してしっかりと確認しているので、忘れたことや遅刻したことはない。また、酒での寝坊や体調に触ることも考えて、前日に誰かと連れ立って飲みにいくことも出来るだけ、控えている。

 8時前にTシャツとジーパン、首にタオルを巻き、軍手を手にはめて玄関を出た。箒と塵取り、草抜き用の鎌と土嚢袋を持って。
 まずは自宅玄関先の歩道と車道との段差の間に積もっていた土や石を集めて、土嚢袋に詰めた。次に歩道に手で拾えるような大きなごみを拾ったが、あることに気がついた。可燃物のゴミ袋が無いことに。自宅に戻って取りにいった。
 例年、草抜きの数日前になると自宅のポストに土嚢や軍手と一緒にゴミ袋も入っているのに、今年は入っていなかった。

 ゴミ袋を片手にゴミ拾いを続けた。今年は、昨年よりも少ない感じがした。同じ町内にファーストフード店があるために、その包装紙やドリンクカップなどが捨てられていることも珍しくないが、今朝はそれらも無かった。
 主なゴミはアイスクリームの木のバーと、煙草の吸殻だ。煙草の吸殻は短いものが多かった。煙草の価格が上昇し続けていることと関係あるのだろうか。

 目立ったゴミを拾い終わると、草抜きに取り掛かった。アスファルトの隙間に生えた草を見つけては、抜き取らなければならない。
 先週、何度か降った雨のおかげか手で抜けるものが割と多かった。根からしっかり抜けるものの中には土がまとわりついていた。久しぶりに土の薫りを嗅いだ気がした。

 正直、毎年は草抜きが嫌だった。朝とはいっても初夏の時期に、アスファルトからの照り返しがある中、屈みこんで草を抜く作業は疲れるからだ。タオルで拭わなければならないほど、汗もかく。
 だが、今日は草抜きをはじめるとネガティブな考えや感情がほとんど沸いてこなかった。何故だろう? 自分でも不思議だった。

 自宅の近くには大きな歩道のスペースがあり、毎年そのスペースでの草抜きに参加者は難儀をするのだが、その場所に差し掛かってからでも、嫌な気持ちにはならなかった。確かに身体は疲れ初めてはいたが。
 それどころか草を抜きながら、いくつかのポジティブなことを考えていた。
 そのうちのひとつは、休日の朝に同じ町内の人とたわいもない会話をしながら、同じ作業をして汗を流す魅力のことだ。有名企業の経営者やヒルズ族のような資本家たちは、こんな素敵な朝を味わえているのだろうか。