淡白マスヲのたんぱく宣言 

アラフィフのオッサンの雑記。夜遊び、芸能ネタ、日常的なことから社会的なことまでを、広く浅く、そして薄い視点で書くので気楽に読んでください。

さようなら丸栄

 来月からの現場はどこになるか、まだ決まっていない。だが、錦で勤務した5か月が昨日で終わった。2月からは錦1丁目、5月からは錦2丁目で働いた日々が。
 錦の1丁目が現場の時は帰路に時々、2丁目が現場の時は往復ともに、栄駅から歩いていた。
 錦の裏路地にある繫華街を歩くときもあれば、広小路通や錦通の表通りを気ままに歩いた。

 数日前の帰り道、あることを知った。知ったというよりも思い出した。地元の新聞やローカルニュースとしては、結構な頻度で取り上げられていたことだから。栄にある百貨店、丸栄が閉店することを。

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この姿が見えなくなるのが寂しい。
 45歳を過ぎたオッサンが物心を着いたころには、当たり前のように営業していた丸栄。そのころは、まだ瀬戸線が栄まで開通していなかったために、より栄という街が子供の自分にとっては特別な場所だった。大曽根で地下鉄名城線に乗り換えなければ行けなかったからだ。

 自分だけでなく、同時代の名古屋市近郊に住んでいた子供たちにとっても栄は特別な街であり、栄の真ん中で存在感があった百貨店はその象徴に感じていたのではないだろうか。丸栄三越、隣駅の矢場町にある松坂屋は。
 屋上の遊園地で遊んだり、デパートのレストランでケチャップライスに旗が立っていたお子様ライスを食べたことが思い出になっているのは、自分だけだろうか。

 名古屋市近郊に住んでいた人々は栄近辺にある3軒の百貨店と名古屋駅に立地している名鉄百貨店も含めて、4Mと呼んで親しんでいた。地元の新聞である中日新聞にもよく4Mという表記が見られた。名古屋駅高島屋が進出してからは、4M1Tと呼称されるようになった。

 自分にとって、名古屋の中心地にあるのが当たり前だった丸栄が、今日で閉店してしまう。全国的に百貨店の経営が厳しいことが言われて久しいが、子供のころから存在していたものが、なくなってしまうのはやはり寂しい。

 これから4M1Tという呼称はどうなってしまうのだろうか。3M1Tとして呼ぶのは、あまりにも安易でイマイチな気がするが、地元のマスコミがどのような表現に変えるのかが、少し見ものだ。

 自分にとって丸栄の一番の思い出は、1階にあるアクセサリー売り場を友人と一緒に回ったことだ。その友人は自分の友人の中でも一二を争うプレイボーイ。
 自分がある女性に誕生日プレゼントを考えている話を当日の朝に電話をすると、急遽駆けつけてくれたのだ。休日とはいえ、前日遅くまで仕事をしていたのにも関わらず。

 丸栄だけでなく、三越松坂屋も隅から隅まで2人で歩いてまわった。当時自分が好きだった女性の誕生日は9月。9月の誕生石がサファイアだったことも、自分は知らなかった。

 結局、友人が選んでくれたサファイアがあしらってある小さなピアスをプレゼントしたことが、自分にとっては素敵な思い出になっている。受け取った女性がとても喜んでくれたからだ。

 三越松坂屋が閉店したら、また当時のことを思い出すのだろうか。
 ちなみに自分がプレゼントした女性は錦のキャバクラに勤めていた大学生だった。もう、20年も昔の話だ。

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夜の錦三、当時自分が好きだった大学生が働いていた店の付近。