淡白マスヲのたんぱく宣言 

アラフィフのオッサンの雑記。広く浅く、そして薄い視点で気楽に書いてマース。

『完全自殺マニュアル』を読んでいたころ

 今朝通勤時にスマホでネットサーフィンをしていたら、ある記事が目に入った。その記事とは『完全自殺マニュアル』の著者である、鶴見済の近況だ。
www.huffingtonpost.jp
完全自殺マニュアル』が出版された当時、フリーターだった自分。
 ファーストフード店でもアルバイトをしていたが、同じ店で働いていた年上の友人が購入したので、借りて読ませてもらったことを憶えている。タイトルだけでなく、中身もそれなりにインパクトがあったから。
 今から20年以上前になるが、著者の近況を読みながらその当時の様々なことを思い返していた。

 そのころの自分はすさんでいた。県立の中途半端な進学校を卒業して、歴史を勉強したかったので浪人しながら大学を目指していたが、結局は挫折。
 何も張り合いがない暮らしの中で、成り行きでアルバイトを始めたのが、フリーターになったきっかけだった。

 ファーストフード店で働き始めてすぐに、同じ頃に入店した女子高生のことが好きになるも、見事に振られた。
 そのころの自分は何をやっても上手くいかないせいか、随分投げやりに日々を過ごしていた。

 だが、上には上が居るものだ。アルバイトをはじめた翌年だったと思う。
 自分が働いていた店に、男子大学生の新入生が入店してきた。彼はエスカレーター式に私立高校から工業系の私立大学に進学していた。

 変わり者の自分が言うのもなんだが、彼は変わっていたし、それ以上に店で浮いていた。
 当時の自分は、若いせいか人に対して好奇心が強かったのだろう。同性であればわりと、誰とでも分け隔てなく会話をした。
 そんな中で彼が口にした台詞を、今朝久しぶりに思い出した。それは、『人生は時間の浪費』。

 初めて聞いたときには、その言葉の組み合わせが持つネガティブさにいささか引いたが、彼がその言葉に込めた想いを聞いているうちに、自分もそれなりに納得した。
 そのころの自分は、今よりもかなりの柔軟さとネガティブさを持ち合わせていたからだ。

 ファーストフード店で働いている時に知り合った友人の何人かとは未だに交流があり、毎年末に忘年会を開いている。
 だが、自分よりもネガティブだった彼とはそれきり、会ってはいない。彼が今、どうしているかの噂も聞かない。

 最近よく思う。自分の考えが年を重ねながらも巡り巡って、彼の言葉は人生の真をついているかもしれないと。投げやりであっても、前向きであったとしても。

 会社や仕事に振り回されることも、お金や異性を追いかけ続けることも、ある一面で捉えれば同じことのように思えてならないからだ。
 文章を綴り、絵を描いたり、写真を撮ったりすることとも結局は同じ、自己表現になる気がする。
 結局、最後は自分の行動に対して自分が納得できるかどうかではないかと、考えているからだ。
 そう考えると浪費するための時間、人生はあまりにも短い。