ある友人が最近よく口にする言葉がある。それは、煩わしい。
その言葉が口癖のようになっている友人とは小中学校の9年間同じ学校に通ったのに、一度もクラスメイトになったことがない。
それにも関わらず、お互いに友人となり40年近く過ぎている。
友人には妹がいて、妹は自分の高校の後輩でもある。馬鹿兄貴の友人にも関わらず、顔を合わせると自分をそれなりに先輩らしく扱ってくれる、優しい出来た後輩だ。
煩わしい、という言葉をよく口にする彼の気持ちも多少は自分も理解できる。面倒くさがり屋で、基本怠け者だから。
お互いアラフィフになってくると身体の無理もあまり利かず、思考も若いときに比べると硬直してきている自覚もある。
同じ世代の友人たちも多少の差はあるが、同じように自分というものが強まっていることを、このごろはよく感じる。
実は、今日の夜は忘年会をすることになっている。あるプロジェクトで仲良くなった年下の友人2人と。
プロジェクト自体は大失敗。システムらしいシステムさえ完成できなかったが、自分には代わりに社会人になってからはなかなか得がたい友人が、2人もできた。
今日の忘年会で今年は4回目。当初から参加することを考えていた今年の忘年会は全7回。今日の会でちょうど折り返し。
全7回のうち自分が幹事をした、幹事をすることになっているのは5回。どちらかというと、お祭り男だと自他ともに認めるマスヲにとっても、ほぼ1か月で幹事を5回も務めるのは、それなりに手間だ。
正直、参加メンバーに自分が想定していないような言動をされると気分も悪いし、煩わしさを感じてしまう。本当は楽しむための会なのに。
歳を重ねると、皆どうしても我が儘になりがちだ。よって、毎年同じようなメンバーの忘年会の幹事をすると、面白くないことも増えている気がする。
自分の体力が低下していることや、自分の思考が硬直化して寛容さが低くなっていることも原因だとは思うが。
ただ、そうはいっても忘年会という機会がないと、顔を見るチャンスを逃してしまう友人が何人もいることも確か。
ある程度のことは我慢しようとは思っているものの、時には幹事として自分を労って欲しいと思うこともたまにはある。
では、参加者からどんな労りや気遣いをされると嬉しいのだろうか。考えてみたが、あまり具体的なことは浮かばなかった。
残り数回の忘年会の幹事をしたら、何か気がつくことがあるかもしれないが。