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※昨日の記事の続きです。
ナースステーションに戻って、叔父が病室に居なかったことを話すと、談話室にいるかもしれないと看護師が話してくれた。
談話室に向かうと、叔父が叔母と向き合って談笑していた。片腕には点滴をしていたが、元気そうに見えた。
叔父の病名は胃癌。ただ、早期のために開腹しなくても手術ができるレベルだったのが幸いだった。月曜日に手術を受けたので、今夜から食事ができると嬉しそうに話してくれた。
自分と血の繋がりはないのだが、似ているところがある。それは食べることが好きなこと。
入院食ではなく、既にハンバーグが食べたくなっているらしい。叔父の言葉を聞いて叔母も母も苦笑いを浮かべていた。
仕事をしていない自分のことを時々、叔父は弄ったが悪意がないことは皆に伝わっていた。
穏やかな談笑が、ただただ続いていく。10年以上前までは、母と叔母は誰が見てもわかるほどに険悪だったのが、嘘のようだ。
昔、祖父祖母の墓参りの際に叔母が母のことを次のように吐き捨てたことを妻と二人で聞いたことを、今でも覚えている。この小姑!と。
普通の人ならば、同じところに留まっていないし、留まっていることができないとつくづく痛感する、今日このごろ。
叔母と母は最低でも普通の人なのだろう。だが、自分はどうなのだろう?
作家、山田詠美の言葉には次のような言葉があるし、この言葉を初めて小説で読んだ時には、心が震えた。
“大人になるということは、成長するということよりもむしろ、成長させるべきでない領域を知ることだ。“ 山田詠美著 僕は勉強ができない
叔父は痛いところ、苦痛なことはほとんどないらしい。ただ、退屈なことと食べたいものが食べられないことを除いて。
叔父が入院している病棟は7階。談話室はガラス張りで素晴らしいロケーション。母と叔母はお互いに景色のことを何度も口にした。他人が聞いたらなんでもないことだが、二人の心の場所が昔より近いことを確実に感じた。
談話室での4人の1時間が穏やかに過ぎたころ、母と自分は帰ることにした。
母も自分も互いに口にしなかったが、うらやましくなるほどに夫婦仲が良い二人のことを、母も慮っていたのだろう。 その日の夕方、昔からの友人からLINEがあって、久しぶりに互いの家から最寄りの焼鳥屋で会うことになった。最後に会ってから1ヶ月以上過ぎていたが、かつての彼との関係からは考えられないほど、間が空いていた。
自分がなんとなく、彼と会う気が少しずつ失せはじめているからだ。
その日も、約束した時間から30分近く過ぎても友人は現れないどころか連絡もなかったので帰ろうとすると、LINEのメッセージが届いた。今から行くから、と。
友人が店に着くなり、待たされたことを自分が詰ると一言も誤りもせずに、開き直って次のような言葉を口にした。子供と一緒に住んでいないお前に何がわかるのか、と。
今、自分が子供とたまにしか会えないことを多少は理解してくれていると思っていたが、それは買い被りだったようだ。
記録に残すために、blogに書き残すことに決めた。彼の口癖で後から誤魔化されたくないからだ。
そんなこと言った? と今までに何度もお酒のせいにされてきたから。