淡白マスヲのたんぱく宣言 

アラフィフのオッサンの雑記。広く浅く、そして薄い視点で気楽に書いてマース。

相手の立場になれる人

 過去に自分が経験した業種について、人は判断が甘くなるのだろうか、厳しくなるのだろうか。それとも、経験する前と変わらないことの方が多いのだろうか。
 人それぞれかもしれないが、自分は前者になるだろう。

 20歳のころからフリーターとして始まったワーカーとしてのキャリアの中で、いくつかの業種に関わった自分。
 それらの業種で働いている現場の人たちにお客や利用者として触れるときは、優しい方だと思っている。

 具体的には飲食店の従業員や、宅配便のドライバーなどだ。フリーターのころはいくつかの外食産業のお店で働いたし、結婚を考えていたころは大手の宅配便のドライバーとして、住宅地を小型トラックでうろうろしていた。
 変わったところでは、ボランティアに従事している人たちに対しても、それなりの視線で見ることができていると思う。
 何回かボランティア活動に従事した中で、まわりから不本意な扱いを受けたことは一度や二度ではない。

 ファーストフード店、ファミリーレストランやチェーン店の居酒屋などで、注文の品が遅くなってもオーダーが間違えられても、極端に怒りをあらわにすることはない。
 だが、身のまわりの人間が全て自分のようではなかった。
 亡くなった父は、外食時に注文した品の提供が遅いというだけで、店を出たことが何度もあった。自分の前では温厚な態度であることが多かったので、飲食店で父が初めて見せたその態度には、いささか驚いた。

 一方、妻の身内は父ではなくて母親の方が、他人には厳しかった。
 母親の影響か妻の一家は、回転寿司に行く際には自分からは理解出来ない、些細な拘りがある。その拘りとは、レーンに回っている寿司は手に取って食べることはしないこと。
 食べたいものがレーンに回っていても、かならずオーダーして新しいものを提供してもらうのだ。
 結婚してすぐに、妻の家族が囚われているそのルールを知ることになるのだが、今でも馬鹿げていると考えている。

 本来寿司は、屋台から始まった大衆の食べもの。そんなに、気取って食べるものではないはずだ。一皿100年の寿司屋ならば、尚更だ。
 そんな店で何を格好つけているのだろう。今思ってもさっぱりわからない。

 だが、おかしなことに妻の母親は100円寿司のチェーン店でパートとして働いていたのだ。しかも、その店が開店してから、長い間。
 一緒に住んでいる、自分の娘からの話だとまだ辞めたという話は聞いていないので、ひょっとしたらまだ現役なのかもしれないが。

 自分に対して人の気持ちがわからないデリカシーがない男と、妻からはよく罵られた。
 だが、今は思う。では、妻は他人の気持ちがわかり、デリカシーがある女性であるかを。
 正直、今ここでYesと書くことはできない。かつては自分に思いを寄せてくれた女性であっても……。

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今日の写真は麻乃さん。小さな小さな虹が、彼女の横に架かっています。