只より高いものはない。全てがこの言葉にあてはまる訳ではないが、大抵のことはそうだと考えている。
何かを学ぶこと、他人に教えを請うことなどは特に。独学、独習も時にはいいかもしれないが、進むべき方向が違っていたら、その修正は難しいだろう。
場合によっては、手遅れになることもあるかもしれない。
知人や友人などに無償で教えてもらったことが、決してプラスにならなかったことを実感していることがある。それはスキー。
高校の修学旅行で初めて体験するやいなや、すぐに夢中になったが、はっきりと上達したのはここ数年。
自らスキースクールの門を叩いてからだ。
そのことを教訓として、それなりには活かしているつもりだ。
今シーズンも、一回はお金を出してスキーのフォームをチェックしてもらった。
できれば、そろそろスノーボードもプロのコーチに指導してもらいたいと考えている。 昨年から興味を持っている写真撮影においても、有料の講座を何回か受講した。カメラメーカーが主催したものを中心に。
どの講座も身になっているとは思うが、受講した時にはピンときていなかった教えもあった。
そのうちのひとつは、次のようなもの。写真はカメラという道具を使って描く絵だと、プロカメラマンでもある講師が自分を含めた生徒たちに語ったのだ。
だが、やっとその言葉の意味が少しわかりかけてきた。先日、通勤途中にスナップ写真を撮っているときのことだった。絵を描いているような感覚がしたのだ。
カメラに撮らされているのではなくて、なんとなく抱いた自分のイメージに近づくようにカメラを操ってから、シャッターを押した。
写真が上手くなったとは思ってないが、自分が作り出したい世界を、少しは写真で再現できた気がした。
そんな感触を味わったからか、最近はカメラを触るのが面白くて仕方が無くなってきた。
ここ最近はなるべくカメラを携帯するようにしているが、カメラが手元に無いときに限って、シャッターチャンスに遭遇している気がする。
今日は夕方から雨予報だったので、通勤時にはカメラを持っていなかったのが、残念でならなかった。
理由があって、出勤時にいつも降りるひとつ手前の駅から歩くと、何回かカメラが欲しくなった場面に出会ったからだ。
また機会があったら、カメラを持って同じ道を歩きたいとは思っているが、デジャブのように全く同じシーンを切り取ることはできないだろう。
今日と同じ明日はないのだから。