年のせいか、肩の調子が酷くなっている。
仕事柄、肩こりとは長年の友人。悪友だと考えているのだが、付き合いを辞めたいのだが相手が自分を離してくれそうもない。
慢性的な肩こりを四十肩と定義するならば、肩が引っかかって右手を耳の横につけることができない症状は、五十肩なのだろうか。
写真撮影にはまりだしたころは、楽に右手を肩より上に上げられたのだが、このごろは難しい。
バリアングルのカメラを手に入れても、ハイアングルでしか撮れない構図を撮影するのには苦労している。 自宅の近所には評判の良い整骨院がある。
自分が通院を始めたころの診療費は数百円だった。値上がりを続けて、今では1,800円。
自分の身体のこととはいっても、この値段は自分の収入から考えると厳しいので、五十肩に耐えながらも受診を我慢している。
週末くらいから夕方になると、歩いているだけでも背中と肩がしんどくなってきたので、昨夕に診察を受けた。
その甲斐はあって肩と背中が軽くなった。この文章をタイピングするのも、前日までよりは楽になっている。
受診中、院長は次のようなことを口にした。
最近になって自分が思っていること、考えていることを正確に表現できるようになったと。
どうやら、自分とは違うらしい。同じように口数が多くても。
マスヲは自身の内面のことも理解できていない子供なのだから、仕方がないのかもしれないが。
院長が調子に乗って続けた会話の中で、次のような一節だけは、自分をも捉えた。
その一節とは、『お金と時間と距離を理由にしない』。
距離については、何事においてもそれほど苦に思ったことはない。
時間のことは若い時から次のように考えてきた。自分で工夫するものだと。実際にそれができているかは別にして。
だが、お金だけは別だ。若い時、否、子供のころから自分に対しての言い訳にして、生きてきた気がする。
今思えば親に対して失礼な話。自分の家がどうして金持ちではないかと考えたことは、一度や二度ではなかったからだ。
そんな考えにずっと縛られてきた。自分でお金を稼ぐようになっても。
最近になってやっと、お金のことを理由にしたくないと、考えられるようになってきた。
写真を撮るのを好きになったことがきっかけだ。
撮影機材はカメラやレンズをはじめ、高額なものが多い。手に入れるのを躊躇うことも多いが、自分に必要だと思えるものは、なるべく揃えるようになった。
予算的には難しいものも当然ある。
もし、買い求めることができなくても、そのことを言い訳にはしたくない。
写真には全てが現れるのだから。見る人がそのことに気がつくかどうかは別にして。