休み明けだったせいか、本業のシステムエンジニアとしてはすっかり気が抜けていた。
朝、出勤する前に昼のお弁当は作ったのだが、持って行かずに自宅に忘れてしまったのは、そんなあらわれのひとつだったのかもしれない。
しかも、そのことに気がついたのはお昼休みになって車に戻ってからだった。
社員食堂で食べることも考えたが、それほど美味しくもない上に流行病の感染リスクを考えると、利用する気にはなれなかった。
コロナ禍になって、社員食堂だけでなく学食も運営が難しくなっている所も出ているらしい。
今、自分がお手伝いしている会社も名古屋市内にあるオフィスの食堂が利用率低下により、閉鎖されるとメールで通達されていた。
昨日、通院のために久しぶりに名駅の西口まで赴いたが、あるレストランが閉まっていた。通り沿いの角地でもあるので場所としては悪くなかったはず。
店内の雰囲気、メニューと価格に惹きつけるものがなかったので、自分は一度も利用したことはなかった。
新型コロナウィルスの影響で廃業に追い込まれる飲食店が増えていることが報道されるのは珍しくないし、実際に知っている店が閉まったのを目にすることも一度や二度ではない。
自分からしたら魅力を感じたことがないお店ばかりだったので、遅かれ早かれ淘汰されたのではないか。
改めて考えてみる。飲食店での食事の魅力は何だろう? もちろんケースバイケースだろうが。平日の仕事中に一人で食べるランチ、家族で何かのアニバーサリーを祝うためのディナー、昔からの友人と互いに愚痴を口にしながらグラスを傾けるなどなど。
二十歳前後にフリーターをしていた時から、数年前まで週末だけラーメン屋でバイトをしていたので、いくつかの飲食店で働いたことがある自分。
その経験から、飲食業で働くことの対価はあまりにも低すぎると考えている。非正規、正規を問わずして。
仕事の内容や仕事量に給料が見合っていない証拠として、コンビニ同様に外国人労働者を見かけることが多くなって久しい。
何人かの友人に言われたことがある。人が食べた食器などを触るのは生理的に無理だと。
自分だって、他人が食べ散らかされた食器などを見るだけで不快な気持ちになったことは数え切れない。
結局、今日のお昼は菓子パン二個。オフィスビルの入り口に自販機でアンパンとジャムパンを買って、車の中でかじった。
案外、こんなクリスマスイブが数年先には思い出深いものになっていたりして。
人の記憶って、不思議なものだから。