淡白マスヲのたんぱく宣言 

アラフィフのオッサンの雑記。広く浅く、そして薄い視点で気楽に書いてマース。

飽きっぽいのに退屈しない理由

 珍しく雪遊びもポートレート撮影の予定も入れなかった日曜日。
 疲れが溜まっているのを自覚していたから、おとなしく休みを過すつもりだったから。

 昨年、会社の指示で受けたオンラインのセミナーで、講師が口にしていたことを覚えていたこともある。45歳を超したら身体に負担をかけるような無理をしたらイケないという言葉を。

 10時過ぎまでベッドで過した今朝。このところ寝不足を感じていたが、少しは睡眠負債を解消できたのではないか。
 朝食を食べると溜め込んでいた洗濯物をベランダに干した。
 休日はスマホサブスクリプションアプリで音楽を聞きながら洗濯物を干すことが多いが、今日は何か曲を聴く気分ではなかった。

 風もなく穏やかな平和な日曜日。日中の陽の当たる場所ではまだ二月だとは思えないほどだった。
 そんな陽気に誘われたのか、自転車に跨がって近所まで出かけた。
 キーフォルダに結わせてあった儺追布を交換したので、使い終わったものを近所の神社まで納めに行った。

 数日前には雪が降ったばかりなのにネルシャツだけでペダルを漕いでいても暖かかった。
 神社に着くと自転車から降りて境内を歩いた。自分以外の参拝者は一人だけ。手水舎には水が張ってなかった。

 神社から自宅までの間にいつの間にか自分のことについて考えていた。何かにつけて不器用なこと、飽きっぽい性格について。
 鈍くさいので自分に腹が立つことが、昔からはしばしばある。他の人がすんなりできることをなかなか出来ないことが多かった。

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今日のお散歩ショット。

 人には持って生まれた性分がある。短所にも長所になり得るだろうが、性分自体を変えるのは難しいのではないか。
 自分がどんなことでも無難に熟せるような器用な人間だったなら、人生はかなり退屈に思えたかもしれない。かなりの飽き性だからだ。

 高校の修学旅行で体験してから30年以上も飽きずにスキーを続けてこられたのは、上達するのが遅かったからではないだろうか。
 運動神経やバランス感覚に優れていたならば上達するのは早かっただろうが、今でも続けていただろうか。退屈を覚えて辞めてしまっている気がする。

 自分に似てなのかはわからないが、娘にも亡くなった父にも少し飽きっぽい所があるような気がする。
 二人とも自分と違って運動神経は人並みだが、器用さはどうなのだろう? どうだったのだろう?

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今日の写真のモデルは𝐰 𝐚 𝐤 𝐚さん。